ケルンテン帝国大管区
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- ケルンテン帝国大管区
- Reichsgau Kärnten
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1938年 - 1945年
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(国旗) (国章) - 国の標語: Ein Volk, ein Reich, ein Führer
一つの民族、一つの国家、一人の総統 - 国歌: Das Lied der Deutschen
世界に冠たるドイツ
党歌: Die Fahne hoch
旗を高く掲げよ 
ナチス・ドイツの地図-
公用語 ドイツ語 首都 クラーゲンフルト - ガウライター
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1938年 - 1939年 フーベルト・クラウスナー 1939年 - 1941年 フランツ・クッチェラ(仮) 1941年 - 1945年 フリードリヒ・ライナー - 人口
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1939年 451,028人 - 変遷
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アンシュルス 1938年3月12日 ドイツの降伏 1945年5月8日
現在
オーストリア
スロベニア

ケルンテン帝国大管区(ケルンテンていこくだいかんく、ドイツ語: Reichsgau Kärnten)は、1938年にアンシュルスによりドイツに併合されたオーストリアの領域にナチス・ドイツが置いた7つの帝国大管区の1つである。ケルンテン州および東チロルからなる。1939年に公布されたオストマルク法に基づいて設置され、1945年まで存続した。1939年から1942年まで、オーストリアの領域に置かれた7つの帝国大管区は総称してオストマルク帝国大管区群と呼ばれていたが、1942年にはさらにオーストリアの印象を薄めるべくドナウ=アルプス帝国大管区群に改称された。
