ゲイターボウル
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歴史
このイベントを思いついたチャールズ・ヒルティ・ジュニアは、レイ・マッカーシー、モーリス・チェリー、W・C・アイビーと共に開催費用として10,000ドルを負担し、1946年1月1日にジャクソンビルのフェアフィールド・スタジアムで最初の試合を行った。ウェイクフォレスト大学とサウスカロライナ大学の対戦となったこの試合はスタジアムの収容人数が小さかったこともあって、入場者数はわずか7,362人であった。しかし、1948年、1949年とスタジアムの拡張を重ね、クレムゾン大学とミズーリ大学が対戦した1949年のゲイターボウルは32,939人を動員した。1970年代には、ゲイターボウルは毎年60,000-70,000人の入場者数を数えるようになった[2]。2010年には、フロリダ州立大学を34年にわたって率い、その間に全米優勝2度、カンファレンス優勝12度を挙げた名将ボビー・ボーデンの最終試合となったゲイターボウルは、史上最多の84,129人を動員した[3]。
会場の変遷

最初の2年間は、ゲイターボウルは1927-28年にかけて建てられた、収容人数7,600人の小さなフェアフィールド・スタジアムで行われた。翌1948年にはこのスタジアムは収容人数16,000人に拡張され、名称もゲイターボウル・スタジアムに改称された。翌1949年には、ゲイターボウル・スタジアムはさらに拡張され、その収容人数は36,058人となった。[4]。その後もゲイターボウル・スタジアムは1957年に62,000人、1974年に72,000人、1984年には80,126人を収容できるスタジアムへと拡張されていった。しかし、NFL誘致のために、老朽化したゲイターボウル・スタジアムは1993年末のゲイターボウルを最後に取り壊されて新しいスタジアムが建てられることになり、翌1994年初から1年8ヶ月かけて工事が行われた[5]。そのため1994年末のゲイターボウルはフロリダ大学のベン・ヒル・グリフィン・スタジアムで行われた。1996年1月1日からは、ゲイターボウルはこの新しく完成したジャクソンビル・ミュニシパル・スタジアム(現エバーバンク・フィールド)で行われている。
対戦校の変遷
ゲイターボウルはその初期から、南部の大学同士、もしくは南部の大学対他地域の大学という対戦となることが多かった。初期の1946年から1952年までは、ゲイターボウルはサザン・カンファレンス[6]代表校と一般選出校との対戦であった。1953年から1994年にかけては、サウスイースタン・カンファレンスやアトランティック・コースト・カンファレンスの所属校同士、もしくはこれらのカンファレンスの所属校と他地域の主要カンファレンス(現BCSカンファレンス)の所属校との対戦が多く設定された。APランキング上位校同士の対戦となることも多く、ローズボウル、シュガーボウル、オレンジボウル、コットンボウルと共に5大ボウル・ゲームとしての地位を確立していた。
しかし、1995年にBCSの前身であるアライアンスが結成されると、ゲイターボウルはコットンボウルと共にアライアンス・ボウルからは外れ、シトラスボウルと共に、アライアンス・カンファレンスの2位のチーム同士が対戦する、セカンドクラスのボウル・ゲームとなった。この時、ゲイターボウルはアトランティック・コースト・カンファレンスの2位とビッグ・イースト・カンファレンス(現アメリカン・アスレチック・カンファレンス)の2位の大学が対戦するボウルとなった[7]。これがゲイターボウルの地位低下の始まりであった。2006年にはこの契約が更改され、ビッグ・イースト・カンファレンス2位の大学、ビッグ12カンファレンス2位の大学、ノートルダム大学のいずれかとアトランティック・コースト・カンファレンス3位の大学とが対戦するボウル・ゲームとなった。そして2010年のボウル契約更改では、ゲイターボウルはビッグ・テン・カンファレンスの4位もしくは5位の大学とサウスイースタン・カンファレンスの6位の大学とが対戦するボウル・ゲームになり、コットンボウルやシトラスボウルはおろか、1995年時点では格下であったアウトバックボウルやピーチボウルよりも下の地位のボウル・ゲームとなった[8]。
スポンサーの変遷
ゲイターボウルに初めてついたスポンサーはマツダで、1986年から5年間ついていた。その後1年はさんで、1992年からは3年間にわたってアウトバック・ステーキハウスがスポンサーについたが、1995年にアウトバックはゲイターボウルを離れ、本社を置くタンパでアウトバックボウルのスポンサーについた。そのアウトバックの後にスポンサーを引き継いだのがトヨタで、1996年から2007年までの12年間スポンサーを務めた。トヨタの後はコニカミノルタが3年間[9]、プログレッシブが2011年に1年だけついた[10]。2012年からは、タックススレイヤー・ドット・コムがスポンサーについている。