ゲイリー・P・ブリンソン

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ゲイリー・P・ブリンソン(Gary P. Brinson)はアメリカの元投資家。 シカゴを拠点とする資産運用会社のブリンソン・パートナーズ創設者であり、同社は1994年に スイス銀行コーポレーション (現在の UBS )買収された。またブリンソン・パートナーズは、銀行関連の規制要件を回避するために、未上場関係のビジネスをスピンアウトさせ、アダムス・ストリート・パートナーズを2000年9月に設立している[1]。2000年にブリンソンが退任する前は、 スイス銀行コーポレーション の資産運用部門(後のUBSアセット・マネジメント)を率いた。

グローバル投資に関する2冊の本の共著者であり、さまざまな投資トピックに関する多数の記事を執筆しており、特にパフォーマンスの要因分析、アセットアロケーションに於いて有名である。ブリンソンは、 ジョージ・ラッセル・ジュニアウォーレン・バフェットビル・グロース などの投資家とともに、投資分野の「生ける伝説」の一人と呼ばれている[2]

ワシントン州シアトル 1943年生まれ。 父親はバスの運転手、母親はシアーズで事務員として働いていた。

シアトル大学 を1966年に卒業し、 ワシントン州立大学 でMBAを1968年に取得した[3]

1960年代後半、トラベラーズ保険会社 のアナリストとして資産運用ビジネスに参入した。1979年、ブリンソンはトラベラーズを退社し、 ファースト・シカゴ・バンク の信託部門に最高投資責任者(CIO)として加わった。 1981年までに、ブリンソンはファースト・シカゴ・インベストメント・アドバイザーズ、後のブリンソン・パートナーズとなるチームを結成した[4]。ファースト・シカゴ・インベストメント・アドバイザーズは1983年に独立した資金運用会社となった。

1980年代を通じて、ブリンソンは、 アセットアロケーションの理論開発のパイオニアとしての地位を確立した[5]。シンプルで費用対効果の高い投資戦略を用いて、株式、債券、現金、不動産、ベンチャー・キャピタル、その他の代替資産クラスにわたる資産配分を推し進めた。これは1990年代のマネー・マネジャーの間でほぼ常識となった[6]

1989年、ファースト・シカゴ・バンクからの 1 億米ドル規模のマネジメント・バイアウト を主導し、パートナーや投資家の大勢とともにファースト・シカゴ・インベストメント・アドバイザーズの約75%を取得した。 その後5年間で運用規模を約360億 米ドルまで成長させた。同社は、米機関投資家にグローバル市場へのアクセスを提供することに注力し、米国最大の年金運用会社の一つとして頭角を現していた[7]

1994年、スイス銀行コーポレーションは、 オコナー&アソシエーツ 、 S.G.ウォーバーグ&カンパニー 、 ディロン・リード&カンパニー を含む一連の買収の真っ只中にあり、1998年のスイス・ユニオン銀行と合併した。 スイス銀行コーポレーションはブリンソン・パートナーズの買収を発表し、同行の資産運用部門の経営にブリンソンを起用した[8]スイス銀行コーポレーションはブリンソン・パートナーズの買収に 7 億5000万米ドルを支払い、ブリンソンとそのパートナーは75%の株式を売却して 4 億6000万米ドルの利益を得た[9]

ブリンソン・パートナーズの買収後、スイス銀行コーポレーションの資産運用事業を統括。またUBSとの合併後、 UBSグローバル・アセット・マネジメント の最高投資責任者(CIO)に就任した。

ドットコムバブル が暴落する直前の2000年初頭にUBSを退職した。インターネット・バブル の暴走と、ファンダメンタルズとバリュー投資 から切り離された状況に、ブリンソンは数年前から不満を募らせていた[10]

主な業績や影響

投資パフォーマンスの要因分析 の基礎を確立するために、 Brinson and Fachler (1985) およびBrinson, Hood, and Beebower (1986) によって書かれた2つの記事を通じて、ブリンソン・モデルを紹介したことで知られている[11]

その他の活動

脚注

外部リンク

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