ゲオルク・フォルスター
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概要
イギリスからの移民の子供としてポーランドに生まれる[1]。少年時代から、学者・旅行家だった父に付き添ってイギリスに渡り[1]、科学的な探検に参加する。
そのひとつはジェイムズ・クックの二度目の太平洋航海(1772年 - 1775年)である。この航海の報告、『世界一周の航海』はポリネシアの民俗学に大きな貢献をし、今なお科学者や一般の読者の尊敬を受けている。フォルスターは近代の科学的な旅行文学の創立者と考えられている。
この報告が高い評価を受け、フォルスターは22歳でイギリスの王立協会の会員になった[2]。1784年からヴィリニュス大学で自然史の教授を務め、1788年にはマインツ大学の司書部長(博物学の教授)に就任した。
フォルスターはドイツにおける啓蒙思想の中心人物であり、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクを含む多くの啓蒙思想の人物と交際があった。彼の思想と人格は19世紀ドイツの偉大な科学者であるアレクサンダー・フォン・フンボルトに大きな影響を与えた。
1789年のフランス革命を「哲学と理性の勝利」として支持する[3]。1793年7月、フランス革命軍によりできたばかりのマインツ共和国の代表としてパリに滞在中、マインツがプロイセンとオーストリアの連合軍に占領され、フォルスターは法の保護の外に置かれることを宣告された。このため、ドイツにいる家族や友人に会えぬまま、1794年1月にパリで病死した。
日本語訳
参考文献
- 坂井栄八郎『ドイツ歴史の旅』朝日新聞社(朝日選書)、増補版1997年。ISBN 4-02-259412-8 - 第5章「マインツとゲオルク・フォルスターの悲劇」(40-46頁)。
- ウルリヒ・エンツェンスベルガー『ゲオルク・フォルスター』芳原政弘・宇佐美幸彦訳、関西大学出版部、2002年。ISBN 978-4-87354-350-5
- ゲオルク・フォルスター『ニーダーラインの光景』船越克己訳、大阪公立大学共同出版会、2012年。ISBN 978-4-901409-86-5
- 船越克己『折折のドイツ文学――フォルスター・ホフマンスタール・グラス――』同学社、2025年。ISBN 978-4-8102-0343-1
