ゲロヴァニ家の起源は11世紀に遡り、ゲロヴァニ家の王子(ムタヴァリ、Mtavari)の1人がバグラティオニ朝グルジア王国の女王タマルの政府で大臣を務めていたことが知られている。ゲロヴァニという姓の由来は非常に古く、故地スヴァネティの伝承では、ゲロヴァニ家の祖先はアラビア半島にイスラム教が興る以前からカァバの黒石を守護しており、中世初期にアラビア半島からスヴァネティにやってきたという。これは、「G(a)L(a)VAN」が古スヴァン語で「石」または「石垣」を意味すること、語尾「-ani」は「~のもの (of)」、例えば「~の息子(the son of)」を意味することからも傍証され得る。同様に、スヴァネティの叙事詩「ギガ・グルヴァンの歌」でもゲロヴァニ家の祖先に言及されている。1360年、バグラト5世の治世において、ゲロヴァニ家はヴァルダニシヅェ家を継承してスヴァネティの公(エリスタヴィ)に叙された[1]。ゲロヴァニ家の家名は Geloani、Gelovani、Geluvani、Geliani、Geliani Daturar、Geliani Tualai などとさまざまに綴られていた。ゲロヴァニ家の家史と系図はあまり十分ではないが、18世紀半ば以降は詳細なものが残っており、ロシア帝国貴族百科事典の第四版に掲載されている。17世紀にはゲロヴァニ家のダデシュ(あるいはダダシュ)という名の者からダデシュケリアニ家が興った。これは名と姓が結びついて家名となったものである (Dadesh+Geliani→Dadeshkeliani)[2][3]。18世紀に入るとダデシュケリアニ家は上スヴァネティを支配者するようになり、ゲロヴァニ家はスヴァネティ東部(下スヴァネティ)のみ支配するようになった。