ヘーチマン国家
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ヘーチマン国家(ヘーチマンこっか、ウクライナ語: Гетьма́нщина[1])は、1649年から1782年の間にドニプロ・ウクライナに存在したコサックの国家である。ポーランド・リトアニア共和国における最大のコサック反乱であるフメリニツキーの乱によって誕生した。国家の君主であるヘーチマンによって統治されたことから、ヘーチマン国家と呼ばれた。正式な国号はザポロージャのコサック軍(Військо Запорозьке)である。
| ヘーチマン国家 「ザポロージャのコサック軍」 | |||||
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| Військо Запорозьке | |||||
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ヘーチマン国家の領域(1654年) | |||||
| 公用語 | ウクライナ語 | ||||
| 首都 |
チヒルィーン(1648年-1676年) バトゥールィン(1663年-1708年) フルーヒウ(1708年-1764年] | ||||
| ヘーチマン | |||||
| 1648年 - 1657年 | フメリニツキー(初代) | ||||
| 1687年 - 1709年 | マゼーパ(第16代) | ||||
| 1750年 - 1764年 | ロズモーウシクィイ(最後) | ||||
| 人口 | |||||
| 1762年[1] | 1,027,928人 | ||||
| 変遷 | |||||
| フメリニツキーの乱 | 1648年 | ||||
| 建国 | 1649年 | ||||
| モスクワとの同盟 | 1654年 | ||||
| モスクワの保護 | 1666年 | ||||
| ポルタヴァの戦い | 1709年 | ||||
| 滅亡 | 1764年 | ||||
| 通貨 | 東ヨーロッパの全通貨 | ||||
| 現在 |
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1654年以後、ロシア・ツァーリ国とロシア帝国の保護下に置かれ、1667年にコサック内戦とロシア・ポーランド戦争の結果、アンドルソヴォ条約でロシアとポーランドの間に分割された。1699年にポーランド支配下の右岸ウクライナにおいてコサックが廃止されると、ロシア支配下の左岸ウクライナにおいて存続し、ポーランド・オスマン帝国とクリミア・ハン国からロシアを守る役割を果たした。
1709年に大北方戦争の際、ロシアから離れてスウェーデンの保護を受けようとしたが失敗、18世紀中にロシア政府の政策により政治的・経済的の独立を失った。1764年にロシアのエカチェリーナ2世はヘーチマン制を廃止、翌1765年に国土はロシアの小ロシア県に編成され、1786年にコサック連隊制が廃止となった。

