コノン・ド・ベテュヌ
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ベテュヌの領主ロベール5世の10人目の息子として生まれる。父は、現在のパ=ド=カレーの修道院で代言者を務め、1191年にアッコの激戦地で戦死した人物である。コノンは祖母を通じてフランドル伯のエノー家と血縁関係にあった。1180年にフランス王フィリップ2世とイサベル・ド・エノーの婚礼に出席し、マリー・ド・シャンパーニュに自作歌曲の御前演奏を行なったらしい。
第3回十字軍に参加した後、兄弟のギヨームとともに、フランドル伯ボードゥアン9世の騎士と共に第4回十字軍に加わり、弁論家としても活躍した。雄弁と知恵と騎士道精神はジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンによって称揚された。コンスタンティノポリスの攻略後に、ラテン帝国宮廷における重臣となり、ボードゥアンとボニファチオ・デル・モンフェラートとの和解やアドリアノープルの会戦に重要な役割を果たした。1219年に女帝ヨランドが崩御すると諸侯により帝国の摂政に選出されたが、その直後に自身も死去した。