コリントの信徒への手紙二
新約聖書に収められた書簡の一つ
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概説
『コリントの信徒への手紙一』を記した後、パウロは小アジアの都市エフェソスを離れてマケドニア州へ向かうことにした。エフェソスでの宣教活動は成功を収め、それがためにパウロは反対者の活動によってエフェソスにいることが難しくもなっていたのである。エフェソスから陸路トロアスへ到着したパウロはそこから海路、マケドニア州へ入るつもりであった。しかし第一の書簡を運んでコリントへ行っていたテトスとトロアスで合流しようというもくろみはうまく行かなかったので不安にかられた。しかしマケドニアのフィリピでテトスと再会することが出来、二人は喜び合った。パウロはテトスからコリントの共同体の状況について聞くことができた。13章からなる。
研究者たちはこの書簡がフィリピかテサロニケで紀元58年の初頭にかかれたものと考えている。この手紙をコリントへ届けたのはおそらくテトスであったろう。第一の手紙との違いは、この手紙はコリントの共同体のメンバーのみならず、アカイア州の全域の共同体に宛てられた書簡であるということである。
内容
全体の内容は以下のとおりである。
- 1章~7章 - パウロの内面的困難、コリントの信徒たちへの思い
- 8章~9章 - 慈善活動のすすめ、特にエルサレムの共同体支援の願い
- 10章~13章 - パウロに対する批判への反論、コリントの信徒への配慮、結びのあいさつ。
11章にはパウロの人生における困難の数々がリストアップされ、第12章では「第三天まであげられた」という神秘体験について、自分に与えられた「とげ」について述べられている。この書簡では他のどれよりもパウロが自分自身について多く語っている。コリントの共同体がこのあと、どうなったのかはわからないが、『使徒言行録』20:2によればパウロはこのあと、コリントを訪れて三ヶ月訪問し、同地で『ローマの信徒への手紙』を執筆している。