Wikiwand AI

コルテス・ザ・キラー

From Wikipedia, the free encyclopedia

「コルテス・ザ・キラー」(Cortez the Killer)は、ニール・ヤングとクレイジー・ホースの1975年のアルバム『ズマ』に収録されている楽曲。エルナン・コルテスによるアステカ帝国征服を題材にして書かれた[2]。

録音
  • 1975年5月22日
  • カリフォルニア州ポイント・デュム
時間7分29秒
概要 「コルテス・ザ・キラー」, 初出アルバム『ズマ』 ...
「コルテス・ザ・キラー」
ニール・ヤングとクレイジー・ホースの楽曲
初出アルバム『ズマ』
リリース1975年11月10日[1]
録音
  • 1975年5月22日
  • カリフォルニア州ポイント・デュム
ジャンルロック
時間7分29秒
レーベルリプリーズ・レコード
作詞・作曲ニール・ヤング
プロデュースニール・ヤング
デヴィッド・ブリッグス
『ズマ』 収録曲
Side 1
  1. 「ドント・クライ・ノー・ティアーズ」
  2. 「デンジャー・バード」
  3. 「パードン・マイ・ハート」
  4. 「ルッキン・フォー・ラヴ」
  5. 「バーストゥール・ブルース」
Side 2
  1. 「ステューピッド・ガール」
  2. 「ドライヴ・バック」
  3. 「コルテス・ザ・キラー」
  4. 「スルー・マイ・セイルズ」
ミュージックビデオ
「Cortez the Killer」 - YouTube
閉じる

概要

ニール・ヤングは「ウィニペグのケルヴィン高校に在学中、歴史を習った時に歌詞を書いた」とコンサートで述べている[3][4]。また、伝記やインタビューにおいて「想像と知識が混ざり合ったもの」「数冊本を読んだだけで書いた。思い付いたことをそのまま書いた部分が多い」と明かしてている[5]。

歌詞は歴史的な正確さやリアリズムを重視しておらず、突然、関係のない個人的な視点の記述が登場する。「僕は知っている。彼女がそこに住んでいることを。/今日に至るまで僕を愛していることを。/いつ、どうやって道に迷ったのか今でも思い出せない」。ヤングはアルバム『ズマ』のレコーディングをしていた頃、5年に及ぶ女優のキャリー・スノッドグレスとの関係を終わらせていた[2]。

レコーディングは1975年5月22日にカリフォルニア州ポイント・デュムで行われた。ヤングはドロップD・チューニングのギターでリードを弾いた。曲はヤングが「コルテス。コルテス。殺人者め」と歌ったあとほどなくしてフェードアウトする。これは電気回路の故障によりスタジオのミキシングコンソールが停電したためとされる。そのため、残りのインストゥルメンタル部分と最後のヴァースが失われた。プロデューサーのデヴィッド・ブリッグスがバンドにそのことを伝えた時、ヤングは「どうせあのヴァースは好きじゃなかったよ」とあっさり答えたという[2]。

1975年11月10日に発売された『ズマ』に収録された[1]。

コンピレーション・アルバム『ディケイド 輝ける10年』のライナーノーツによれば、フランコ政権下のスペインにおいて放送禁止されたという。フランシスコ・フランコは発売から10日後の11月20日に死去した。フランコの死後スペインでアルバムが発売された際、曲のタイトルは「コルテス、コルテス」と表記された[6][7]。

1979年に発売されたライブ・アルバム『ライヴ・ラスト』に1978年のツアーのライブバージョンが収録されている[8]。

脚注

関連項目

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks