コント55号の世界は笑う!
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概要
本番組はコント55号にとっての初めての冠番組であると共に、芸人による冠番組として日本初となる[1][2]。
1968年4月にフジテレビでスタートした平日昼のベルト番組『お昼のゴールデンショー』のレギュラーとして一躍注目を浴びる存在となったコント55号をメインに据えてスタート。主にコントを中心に、ゲストの歌手による歌と漫才師、落語家などのお笑い芸人による本芸を織り交ぜた構成は、『お昼のゴールデンショー』との関連性を強く残す形での始動であった。番組後半では55号のコントをメインに絞っていた。収録会場は新宿厚生年金会館大ホール。公開番組としては初のカラー番組で、初回からカラー収録が行われていた。
当初は主に外部作家の脚本によるコントであったが、途中から、常田を介して萩本の手に放送前に原案が渡り、それを萩本が修正するという作業を行うようになり、次第に外部作家の脚本よりも萩本自身の脚本によるコントが行われる度合いが多くなった。55号、そして製作者・作家陣との切磋琢磨の中で、「立会演説会」(別名・「机」。「忘れもしない13年前!」というフレーズで有名なコント。後年、明石家さんまらによって幾度ものリスペクトがなされている)や「当たり屋」などといった、後世に語り継がれるコントが次々と誕生。そして番組も平均視聴率30%を優に越えるという同局のドル箱番組へと成長を遂げた。
1969年10月、TBSはザ・ドリフターズをメインに起用し、同じく公開バラエティの体裁を取った『8時だョ!全員集合』を開始した。多様なゲストを起用してのコントあり、歌ありという内容で、『全員集合』の人気は放送開始から程なくして急上昇。同年末までは『全員集合』の15%前後に対して同番組は依然30%近い視聴率を維持していたが、1970年1月 - 2月にはTBSの人気ドラマのゲストを連続して起用する策を打って出たことで『全員集合』は視聴率25%前後を記録する人気番組となり、形勢は一気に逆転した[3]。1970年春、番組は最終的に1年9か月で終了し、『コント55号のやるぞみてくれ!』へとリニューアルするも、わずか2か月で打ち切られた。なお、この番組の放送から長年にわたる土曜8時戦争が始まった。
番組の内容
スタッフ
- プロデューサー:真杉昇
- 演出:常田久仁子
- 美術:北川勇
- 技術:中嶋渉
テーマ曲
ネット局
以下、特記の無いものは全て、放送時間は制作局・フジテレビと同じ土曜 20:00 - 20:56、同時ネット。
- フジテレビ(制作局)
- 秋田テレビ(1969年10月開局時から放送)[4]
- 仙台放送
- 新潟総合テレビ:金曜 14:00 - 14:55[5]
- 富山テレビ(1969年4月開局時から放送)[6]
- 石川テレビ(1969年4月開局時から放送)[6]
- 長野放送(1969年4月開局時から放送)[7]
- テレビ静岡(1968年11月サービス放送開始時から放送)[8]
- 東海テレビ[9]
- 関西テレビ[10]
- 山陽放送:日曜 15:00 - 15:55[11][注釈 1]
- 広島テレビ:日曜 14:00 - 14:55[12][注釈 2]
- テレビ愛媛(1969年12月開局時から放送)[13]
- テレビ西日本[14]
- サガテレビ(1969年4月開局時から放送)[14]
- テレビ長崎(1969年4月開局時から放送)[15]
- テレビ熊本(1969年4月開局時から放送)[15]
- 沖縄テレビ