コンドゥルチャ川の戦い

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1391年6月18日
結果 ティムール朝の勝利
コンドゥルチャ川の戦い
トクタミシュ・ティムール戦争英語版中中

ティムール軍によるキプチャク草原での進軍経路。 (1391年)
1391年6月18日
場所ジョチ・ウルス国ヴォルガ・ブルガール国
結果 ティムール朝の勝利
衝突した勢力
ティムール帝国 ジョチ・ウルス国
アラン人
ナフ人英語版
チェルケス人
ロシア人
指揮官
ティムール
ムハンマド・スルタン・ミルザ英語版
ウマル・シャイフ・ミルザ1世英語版
ミーラーン・シャー
トクタミシュ
戦力
約100000人[1]

約180000人~200000人 [2]

また、240000~300000人という説もある[3]
被害者数
不明 約100000人 [4]

コンドゥルチャ川の戦い(コンドゥルチャがわのたたかい)は、トクタミシュ・ティムール戦争英語版の開戦初期に行われた戦闘である[5]ジョチ・ウルス国ヴォルガ・ブルガール国にまたがるコンドゥルチャ川、現在のロシア・サマラ州である。トクタミシュの騎兵隊はティムール帝国軍を側面から包囲しようとした。しかし、ティムール朝軍はこの攻撃に耐え、その後、突然の正面攻撃により、ジョチ・ウルスと民族の連合軍は逃走した。しかし、連合軍の軍隊の多くはテレク川で止まり、ティムール軍を倒すために体勢を立て直そうとした。

ティムールは以前、1378年にトクタミシュオルダ・ウルスの王位に就くのを援助していた。その後の数年間、トクタミシュはジョチ・ウルスを完全に支配し、ティムールは中東全域に勢力を拡大した。しかし、ティムールはトクタミシュがジョチ・ウルスの領土だと主張するアゼルバイジャンを占領。これに憤慨したトクタミシュはティムール帝国領に侵入し、サマルカンドを一時包囲したが、ティムールにより奪還。ティムールはトクタミシュを追撃し、トクタミシュはコンドゥルチャ川湖畔で戦いに転じた。

出典

参考文献

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