コンヤーズ男爵
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1509年3月17日にウィリアム・コンヤーズ(1468–1524)が議会召集令状を受ける形で創設された[1]。以降息子クリストファー(?–1538)、孫ジョン(c. 1524–1557)へと継承されたが、3代男爵ジョンが死去すると、その娘3人の間で優劣をつけられず、爵位は停止状態になった[2]。
3代男爵の次女エリザベス(?–1572)の息子コンヤーズ・ダーシー(1570–1653)は1641年に請願を出し、それが受け入れられた結果、コンヤーズは同年8月12日の特許状により継承権を「男系子孫」(the heirs male of his body)に限定する形でコンヤーズ男爵の継承を認められた[3]。系譜学者ジョン・ホレス・ラウンドが1903年に調査したところによると、1644年7月に3代男爵の三女キャサリン(Katherine)の孫娘アン(Anne)が死去したことで、停止状態が法律上でも解消されたが、コンヤーズ・ダーシーがそのように主張しなかったため、コンヤーズ男爵の継承状態が複雑化する原因になった[3]。コンヤーズ男爵の継承者以降男系子孫による継承が4代続き、1778年に4代男爵の来孫ロバート(1718–1778)が死去すると、その娘アメリア(1754–1784)が法律上コンヤーズ男爵位を継承した[4]。ただし、アメリア自身はコンヤーズ男爵の継承権を知らず、その存命中にコンヤーズ男爵の称号を用いたことはなかった[5]。アメリアの死後は息子ジョージ・ウィリアム・フレデリック・オズボーン(1775–1838)が爵位を継承し、1798年4月27日の貴族院裁定によりジョージは第10代コンヤーズ男爵として承認された[5]。アメリアによる継承は1641年の特許状での継承権規定に違反するが、1798年の調査では1641年の特許状が見つからず、また停止状態が法律上1644年に解消されたこともあってジョージによる爵位継承が認められたという[5]。その後、貴族院特権委員会は1903年の裁定で1641年の特許状が停止状態の解消のみを定め、継承権を男系子孫に限定する条項を無効とした[6]。
10代男爵の息子である11代男爵フランシス・ジョージ・ゴドルフィン・ダーシー=オズボーン(1798–1859)は息子がおらず、妹シャーロット・メアリー・アン・ジョージアナ(1801–1836)の息子サックヴィル・ジョージ・レーン=フォックス(1827–1888)が12代男爵となった[7]。12代男爵は息子に先立たれたため、コンヤーズ男爵位は娘2人の間で停止状態になった[8]。
1892年6月8日、12代男爵の長女マーシア・アメリア・メアリー・ペラム(1863–1926)が13代女男爵として継承する形でコンヤーズ男爵位の停止状態が解消された[8]。13代女男爵の息子にあたる14代男爵サックヴィル・ジョージ・ペラムの死後、コンヤーズ男爵位は娘2人の間で停止状態になり、2012年に次女(ジューン)・ウェンディ・ペラム((June) Wendy Pelham、1924年 – 2012年)が死去すると、長女ダイアナ・メアリー・ミラー(1920–2013)が継承する形で解消された[6]。2013年にダイアナ・メアリーが死去すると、コンヤーズ男爵位はその娘2人の間で停止状態になった。

