コンラート1世 (シュヴァーベン大公)
From Wikipedia, the free encyclopedia
コンラートとその家族に関しては不明な点が多いが、クノ・フォン・エーニンゲンと同一人物とみられている[1]。両親については不明であるが、父親をヴェッテラウ伯ウード1世、母親をヴェルマンドワ伯エルベール1世の娘キュネゴンドとする説がある[2]。妻についても不明であるが、神聖ローマ皇帝オットー1世の子リウドルフの娘レグリント(またはリヒリント)[3]、またはマルヒタール伯アダルベルトの娘ユーディトと考えられている[4]。
981年から982年にかけてのイタリア遠征の間に、シュヴァーベン大公オットー1世が嗣子なく急死したため、皇帝オットー2世はコンラートをシュヴァーベン大公に任じた。コンラート以降、シュヴァーベン大公位はコンラディン家が継承し、997年にコンラートが死去した後は、息子ヘルマン2世がシュヴァーベン大公位を継いだ。