ルクセンブルク伯ギゼルベルトの息子で、1059年に父の跡を継いでルクセンブルク伯となった。コンラート1世は、トリーアのザンクト=マクシミン修道院に関してトリーア大司教との対立に巻き込まれた。大司教はコンラート1世を破門にし、コンラート1世は破門の解除のために償いを行い、エルサレムへの巡礼を行わなければならなかった。1086年、コンラート1世は旅からの帰路の途中、イタリアで死去した。
コンラート1世は1070年にシニー伯アルヌール1世とともにオルヴァル修道院を、1083年にアルトミュンスター修道院を創建した。