コーフ城
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コーフカッスル村は6000年前にはケルト人が居住していたといわれ[1]、城の周囲にはケルトの首長の妻たちを葬ったとされる「十二人の花嫁」と呼ばれる塚がある。村の中心であるコーフ城は交通の要衝にあり、古来より戦略的に重要視されていた。伝説によれば、979年にエドワード殉教王はこの城で暗殺されている[1][2]。その後、ノルマン・コンクエストによってコーフ城は破壊されたが、1090年に再建され、中世には王家の5つの城のひとつに数えられた。ジョン王がフランス人22人を幽閉し餓死させるなど、牢獄としても利用された。
ヘンリー7世が母マーガレット・ボーフォートにコーフ城を譲渡した後、息子ヘンリー8世の代に王家の元に戻った。1572年にエリザベス1世から大法官クリストファー・ハットンに売却され、英西戦争に備えて要塞化された[1]。
1635年、サー・ジョン・バンクスが購入し、清教徒革命(イングランド内戦)中に拠点とした。2度の包囲戦が行われ、ジョン・バンクスの妻メアリー・バンクスが防衛を主導し議会派に抵抗した。1643年の防衛には成功したが、イングランド南部において王党派の最後の拠点となった1645年の2度目の防衛で陥落した。その年の3月、議会の決定でコーフ城は取り壊された。
ナショナル・トラストが購入し、一般公開され2010年には19万人の人々を受け入れた[3][4]。第一級指定建築物として保護されている[5]。
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