ゴードン・スマイリー
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ゴードン・スマイリー Gordon Smiley | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 生年月日 | 1946年4月20日 |
| 出身地 |
|
| 死没日 | 1982年5月15日(36歳没) |
| 死没地 |
|
| インディカー・シリーズでの経歴 | |
| デビュー | 1980年 |
| 所属 | パトリック・レーシング |
| 活動時期 | 1980年 - 1982年 |
| 車番 | 70 (1980), 60 (1981), 35 (1982) |
| 出走回数 | 2 |
| 優勝回数 | 0 |
| ポールポジション | 0 |
| シリーズ最高順位 | 22位 (1981) |
ゴードン・ユージン・スマイリー(英: Gordon Eugene Smiley、1946年4月20日 - 1982年5月15日)は、アメリカ合衆国・ネブラスカ州オマハ出身のレーシングドライバー。
2000年にネブラスカ・オートレーシング殿堂に選出された。
SCCAとロードレースでの経歴
19歳で初めてフォーミュラカーレースに参加し、スポーツカークラブ・オブ・アメリカ(SCCA)のフォーミュラ・フォード、フォーミュラ・アトランティック(SCCA フォーミュラB)、カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)、フォーミュラ5000、フォーミュラ・スーパーVeeの各シリーズを制して25のコースレコードを記録した。SCCAナショナルチャンピオンシップ・ランオフを4度獲得し、1974年にプロへ転向した。
1979年にはサーティースチームよりイギリスF1選手権(オーロラF1シリーズとも呼ばれる)に参戦した。11レースに参戦し、同年のシルバーストンでの優勝を含め、8レースで10位以内の結果を残した。その中には、1979年にイギリスのシルバーストーンで行われたFIA公認イベントにおけるアメリカ人による最後の優勝記録も含まれている。また、ブランズ・ハッチで開催された1979年F1非選手権レース・オブ・チャンピオンズにもティレルから出場し、10位に終わった。
インディ500での経歴
自身にとってのデビュー戦となった1980年のインディ500では、パトリック・レーシングの傘下にあるチームであるバルボリン・フェニックス・コスワースから出走し、予選20位を獲得したが、決勝レースはターボトラブルにより47周目にリタイアし、最終的な順位は25位となった。
1981年のインディ500では前年度と同じくパトリック・レーシングの傘下チームであるインターメディクス・ワイルドキャット・マークVIII・コスワースから出走し予選8位を獲得。決勝では一時トップ争いに加わり15周に渡るラップリードなどの活躍を見せたが、141周目にターン4でクラッシュを喫し最終的な順位は22位に終わった。
事故死
そして1982年のインディ500では、スマイリーが予選中にコースレコードを更新した。そしてケビン・コーガンとリック・メアーズの両者が1周と4周連続走行の両方のレコードを更新した。
その僅か1時間後、スマイリーは予選アタックに向かった。ウォームアップラップの2周目、スマイリーの車両はターン3でオーバーステアに見舞われ、軽くスライドした。体勢を立て直すためにステアリングを右に切ると前輪は突然グリップを取り戻し、コースを横切る方向に進み、時速約320キロ(約200マイル)の速度でノーズからウォールに衝突した。衝突の衝撃によりスマイリーのマーチ・82Cは完全に砕け、原型をとどめないほど木端微塵になり、燃料タンクが爆発し炎上した。そしてターン3からターン4の間の短い直線上の数百フィートにわたり、分裂した車体の破片とスマイリーの身体の各部が一面に飛散した。スマイリーは壁に衝突した際に全身を強く打ち即死。衝撃によりスマイリーの身体は分断され原形をとどめておらず、レーシングスーツで辛うじて身元が判明できたほどだった。
インディ500においては、1973年にアート・ポラードとスウェード・サベージが事故死して以来の死亡事故であり、現在に至るまでインディ500の予選中に死亡した最後のドライバーとなっている。
1979年から2003年までインディカーの医療ディレクターを務めた医師のスティーブ・オルヴェイ氏は、著書"Rapid Response"の中でこの事故について以下のように述べている。
"1982年のインディ500の予選中、テキサス出身の若手ドライバーであるゴードン・スマイリーは、時速200マイルを何としても超える決意でいた。数名のベテランドライバーは彼に対し、インディ500でのドライビングとしては完全に間違っており、手に負えない結果になると警告していた。スマイリーはロードレースの経験もあり、後輪のトラクションを失った際にクラッシュを避けるためにカウンターステアを使っていた。
事故後に彼の車に駆けつける途中、灰色の物体がアスファルト上に点々としており、ドライバーの方まで続いていることに気がついた。スマイリーの体のもとに到着すると、彼が着用していたヘルメットは、頭蓋骨の上半分もろとも無くなっていた。彼は防護フェンスに激突した際に頭蓋骨が分断されていたのだ。コース上に飛び散っていた灰色の物体は飛散した脳の一部であった。衝突した瞬間の莫大な遠心力によりヘルメットは、文字通り彼の頭から引きちぎられたのだ。医療センターまで彼の体を運ぶ間に一通りの検査を行ったところ、全身のほぼ全ての骨が砕けていることが分かった。彼の体には大きな傷口があったが、まるで大きな鮫にでも襲われたかのような深い傷口だった。私はこのような外傷を負った体を今までに見たことがなかった。" (Rapid Response, pp 98-99).
オルベイは後に著書の中で、事故の直後に彼とインディカーの救急隊が現場でスマイリーの死亡を宣告したと述べている。この出来事は大きな波紋を呼び、頭部切断や炎に包まれるなどの致命的な負傷でない限り、サーキット上でドライバーの死を宣告しないという新たなルールが生まれた。スマイリーのチームメイトであったデジレ・ウィルソンは、スマイリーのマシンの残骸が回収された際にピットガレージにいた。2010年のウィルソンの証言によると、ゴードンの車の残骸はガレージに運ばれてきたが、一番大きな残骸はエンジンの小さな破片だけであり、他の粉々になった破片や、ギアボックスの一部、ホイールの一部、そしてシートさえも残っていなかった。事故後にゴミ収集車が来て、残骸をトラックの荷台に積み込んで運び去ってしまったという。
フレッチャー・レーシングはバックアップカーを用意し、翌週のレースには代役としてジョージ・スナイダーが出場した。
インディ500での成績
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||