ゴードン・ベスーン
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ゴードン・ベスーン | |
|---|---|
| Gordon Bethune | |
| 生誕 |
1941年8月29日(83歳) |
| 出身校 |
アビリーン・クリスチャン大学 ハーバード・ビジネス・スクール |
| 職業 |
コンチネンタル航空 CEO (1994年 - 2004年) ボーイング VP (1988年 - 1994年) ピードモント航空 SVP (1984年 - 1988年) ブラニフ航空 VP (1978年 - 1982年) |
ゴードン・M・ベスーン(Gordon M. Bethune、1941年8月29日 - )は、アメリカ合衆国の航空会社経営者である。1994年から2004年までコンチネンタル航空のCEOを務め、同社の経営を立て直したことで知られる。
海軍
初期のキャリア
1978年、海軍時代の同僚の招きでブラニフ航空にメンテナンス・マネージャーとして入社した。後に整備部門のヴァイス・プレジデントまで昇進し[2]、規制緩和において経営の効率化に努めた。ブラニフ航空在職中に整備士資格を取得した。
1983年にはウエスタン航空へ整備部門ヴァイス・プレジデントとして入社した。この時に、当時ピードモント航空で整備部長の職にあった鶴田国昭と出会い、翌年に鶴田の紹介でピードモント航空へ移籍、上級ヴァイス・プレジデントに就任した[3][4]。
1989年、ピードモント航空がUSエアに買収されると同時に同社を退職し、ボーイングに役員として入社した。レントン工場でボーイング737・757の製造を担当し、在職中に757・767の操縦資格を取得した。 1984年にアビリーン・クリスチャン大学で学士号を取得した[5]。
コンチネンタル航空
1994年、ベスーンは、それまでに2度の倒産の危機に直面したコンチネンタル航空の社長兼COOに招聘された。その後、1994年11月に社長兼CEOに就任し、1996年には取締役会会長に就任した[2][6]。
ベーン・アンド・カンパニーからコンサルタントとして同社へ派遣され、その後ベスーンにCOOとして招聘されたグレッグ・ブレネマンと二人三脚で発案した「Go-Forward plan」(前進プラン)と称した再生プランを実行した。このプランは、従業員の士気を高めると同時に、商品の質的・財政の健全化を目的としたもので、この再生プランにより、1994年の時点で会社存亡の危機にあった同社は1995年に単年度黒字を計上し、1996年には「エアライン・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、経営状態は大きく改善された。
再生プランを実行するにあたって、財務・システム・運航のエキスパートを呼び寄せたが、特に運航部門の改善に呼び寄せられたのは、ベスーンの古くからの仲間で運航部門の要として大活躍するC.D.マクリーン(後に筆頭副社長=EVPへ昇格)、整備部門全般を統括するメンテナンスの副社長にジョージ・メイスン、そして資材の調達を行う部門の長としてツルタを呼び寄せた。3人ともピードモント航空でベスーンと共に働いていた者たちだった。このため、「ビジネス・マンデー」1997年12月1日付で同社の奇跡的とも見られた再建を紹介する際に、ベスーン、CD・マクリーン、ジョージ・メイスン、ツルタたちの4人に対して「Piedmond West」(ピードモントのマフィア)と呼んでいた。このピードモントマフィアを従えて、ベスーンはブレネマンと二人三脚でコンチネンタルのターンアラウンドを達成した。
ベスーンの下で、コンチネンタル航空の株価は1株2ドルから50ドル以上まで上昇した[7]。『フォーチュン』誌では、6年連続で「アメリカの働きがいのある会社100」に選出された[8]。ベスーンは、1999年に著書"From Worst to First: Behind the Scenes of Continental's Remarkable Comeback"(「最悪から最高へ: コンチネンタルの目覚ましいカムバックの舞台裏」。日本語訳題『大逆転!』)を執筆し、コンチネンタル航空でのキャリアを詳述した[9]。
ボーイング767の操縦資格を持つことから、コンチネンタル航空在籍当中は、ボーイング767の受領時に自ら操縦したこともあるほか、ボーイング777の受領時にも操縦桿を握り、操縦フィーリングを確かめたという。
2004年12月にコンチネンタル航空を退社した。2006年からはアロハ航空の親会社であるアロハエアグループの会長に就任している[10]。しかし2008年3月、アロハ航空は破産し、運航を停止した。
また、プルデンシャル・ファイナンシャル、ハネウェル、スプリント、パーク・ホテルズ・アンド・リゾーツなどの取締役を務めた。引退後は、CNBCのコントリビューターを務めている[11]。
賞と栄誉
1999年、コンチネンタル航空の拠点であるジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港に設置された社員食堂には、同社に対するベスーンの功績を讃える意味で「ゴードンホール」と命名された[12]。コンチネンタル航空退社を控えた2004年11月には、同社に対するベスーンの功績を讃える意味で、保有するボーイング777のうちの1機が「ゴードン・M・ベスーン号」と命名された[13]。
2003年、民間航空業界における優れたリーダーシップを称えるトニー・ジャナス賞を受賞した[14]。2004年、ウィングス・クラブからDistinguished Achievement Awardを授与された[15]。
2009年、航空宇宙雑誌"Aviation Week & Space Technology"は、ベスーンにフィリップ・J・クラス生涯功労賞を授与した。同誌は、「ベスーンは生涯をかけて、物事をよりよく機能させる方法を絶え間なく探し続けてきた。彼の業績と社員からの人気の両方において、ライバルはほとんどいない」と書いた[16]。