ゴールドマン・バンド
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ゴールドマン・バンド(Goldman Band)は、かつてアメリカ合衆国に存在した吹奏楽団。エドウィン・フランコ・ゴールドマンが設立したニューヨーク・ミリタリー・バンド(New York Military Band)を前身として、1918年に創設[1]。ニューヨークに拠点を置いていた。
ゴールドマン・バンドの最初の演奏会は1920年にコロンビア大学で行われた。プログラムはゴールドマンが選んだ編曲作品・吹奏楽オリジナル作品で構成され、J.S.バッハ、ヴィクター・ハーバート、エドワード・マクダウェル、ヨハン・スヴェンセン、アンブロワーズ・トマ、リヒャルト・ワーグナー、カール・ミヒャエル・ツィーラーらの作品が演奏された。
ゴールドマン・バンドは、前身のニューヨーク・ミリタリー・バンド時代を含め、93年間にわたって、ニューヨーク市内の公共の場で無料で公演を行った。公演は、グリーンズ・アット・コロンビア(the Greens at Columbia)、セントラル・パーク、プロスペクト・パーク(Prospect Park)[1]、リンカーンセンターのグッゲンハイム・バンドシェル(Guggenheim Bandshell)でも行われた。著名な奏者や歌手との共演を行い、パーシー・グレインジャーやヴィヴィアン・ダン(Vivian Dunn)を客演指揮者として迎えた。吹奏楽のための古典的な作品のみならず、新たに作曲された作品も演奏された。ゴールドマンは、オットリーノ・レスピーギ、アルベール・ルーセル、ヤロミール・ヴァインベルゲルら欧州の作曲家に吹奏楽編成の作品を委嘱した。著名な音楽家との共演やグッゲンハイム財団(Guggenheim Foundation)からの寄付で、ゴールドマン・バンドは、ニューヨークでの演奏活動に加え、米国やカナダでのツアーや、ラジオやテレビへの出演も行った。
1983年、グッゲンハイム財団がその寄付先を社会問題に絞りゴールドマン・バンドへの援助を打ち切ったことから[2]、同バンドは新たな資金調達を求めなければならなくなったため、活動期間を7週間に限定し、その間に35回の演奏会を行うこととした。
指揮者
エドウィン・フランコ・ゴールドマンが1956年に78歳で死去すると、息子のリチャード(Richard Franko Goldman)が跡を継いで指揮者に就任するも1979年に辞任、翌1980年に死去[1]。1968年から共同指揮者の座にあったエインズリー・コックスが、1988年に死去するまで首席指揮者を務めた[3]。以後、ジーン・ヤング(Gene Young)(1988〜1997年)、デビッド・イートン(David Eaton)(1997〜2000年)、クリスティアン・ウィルヘルム(Christian Wiljelm)(2000年〜活動停止まで)が指揮者を務めた[4]。
初演作品
数々の著名な作曲家がゴールドマン・バンドのために作曲を行っている[4]。
- 1937年夏、パーシー・グレインジャー作曲「リンカンシャーの花束」の完全版を初演。
- 1945年6月13日、ダリウス・ミヨー作曲「フランス組曲」を初演。
- 1946年6月27日、アルノルト・シェーンベルク作曲「主題と変奏」をリチャード・フランコ・ゴールドマン指揮で初演[5]。
- 1947年6月23日、エクトル・ベルリオーズ作曲「葬送と勝利の大交響曲」を200名の合唱とともに米国初演。