サダム・ビーチ
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語源
この村は以前はマイソール王国の王、ティプー・スルターンにあやかってティプー・スルターン・ビーチ(Tipu Sultan Beach)と呼ばれていた。ティプー・スルターンは18世紀後半にイギリス領インド帝国の支配に抵抗し反英闘争に身を投じている[1]。1991年の湾岸戦争以降、村民はイラクの指導者サッダーム・フセインとの連帯感を表すために「ティプー・スルターン・ビーチ」という村の名前を「サダム・ビーチ」に変更した。住民のほとんどがイスラム教徒からなり、彼らはアメリカの政策に抵抗し戦うサッダーム・フセインに薫陶を受けたと語っている[2]。
歴史
イラク戦争、2003年
2003年のバグダッド侵攻を受けてサダム・ビーチではたくさんの反英、反米デモが行われた。イギリス製やアメリカ製の製品のボイコットも広く行われ、場合によってはそれらは海に投げ捨てられた。村の近辺から、多くはメイドとして、湾岸アラブ地域に出稼ぎに出ている住民らは開戦を受けてサダム・ビーチへ帰還せざるを得なくなり、彼らが西側諸国に対する敵意をさらにあおる結果となった[4]。地域住人らは抗議の意を示すために、イラクの国旗やサッダーム・フセインのポスターを道路わきに掲げた[2]。
2006年11月、村民らはサッダーム・フセインの死刑判決(en:Trial of Saddam Hussein)に対して抗議集会を開いた。参加者たちはアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュを非難するスローガンを叫んだ。行進にはおよそ50名が参加し、女性や子供も含まれた[5]。