サドルの語は古くから貴人の尊称として使われ、政府の宰相やイスラムの宗務に関係する指導者に対して用いられた。後の時代になって13世紀から14世紀にイルハン朝の宗主権下でヘラートを支配したクルト朝によって宗務を監督する官職の名として用いられ始め、続くティムール朝のもとで中央アジアからイラン方面まで広まる。官職としてのサドルは、イマーム(礼拝の指導者)やカーディー(法官)、ムフタスィブ(監督官)などのイスラム法(シャリーア)に関わる領域を職務とする役職の任免を担い、ワクフ(宗教寄進財)の管理運営を監督するなど、シャリーアによって律せられたイスラム社会における社会生活・信仰を管轄する宗務の最高官として機能した。サドルの権限は、サイイド(預言者の聖裔)やウラマー(イスラム学識者)などの社会の指導層を事実上統括するものであり、東方イスラム世界を特徴づける定住民と遊牧民の共存支配体制においては、定住民社会の民政の最高責任者であった。サドルは各都市に一人から複数が置かれ、多くの場合その土地のサイイドやウラマーの名門家系によって世襲されていた。
ティムール朝解体後イラン高原に興ったサファヴィー朝でもその国家体制は基本的に共通しておりサドルが設置されたが、中央政府にサドルが置かれた点が異なる。中央のサドルはサファヴィー朝の支配権が及ぶ領内の全てに対して権限を持ち、広大なサファヴィー朝領全域の宗教関係の職務の最高責任者として強い力をもった。
一方、ティムール朝と同じ頃勃興したオスマン帝国では、「偉大」を意味するアザム(azam)を付した「サドラザム」(Sadrazam)という語が君主に代わって政治・軍事の全権を担った大宰相のことをいい、「両サドル」(sadrayn)といえば2人の首席法官を指した。
また、イラン方面ではシーア派(十二イマーム派)の有力者の人名の一要素としてサドルの語が使われ、イラク中部のシーア派の聖地カーズィマイン出身の十二イマーム派ウラマー名家のサドル家が有名である。