13世紀
From Wikipedia, the free encyclopedia
モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica)
13世紀は、チンギス・カンの興したモンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を支配したため、モンゴルの世紀と呼ばれる。モンゴル帝国は交易を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立した(シルクロードの発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、世界史の転換期のひとつとなった。
ジャワ島では、シンガサリ王国が東部から興ってクディリ王国を倒したが、モンゴル帝国(元)のクビライの遠征軍の派兵により、内部で混乱し滅亡した。しかし、元の遠征軍も内紛の一部勢力と手を結んだが、最後には裏切りに遭いジャワ島より敗退する(1292年、マジャパヒト王国成立)。12世紀に中国を二分した金と南宋は元により滅ぼされた。また、日本も2度にわたる元の侵攻(元寇)に遭ったがこれを撃退している。
十字軍勢力は衰退へ
第6回十字軍に赴いた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝のスルターンアル=カーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせたが、10年余りで再びイスラム勢力により陥落した(以後、20世紀までエルサレムはイスラムの支配下に置かれる)。その後も十字軍の遠征は行なわれたが、レバントにおける十字軍国家は縮小の一途をたどり、1291年には最後の拠点アッコを失ってエルサレム王国も滅亡、パレスチナ全域がイスラム勢力下に入った。
マグナ・カルタ成立
イングランド王国では、国王の権限を制限するマグナ・カルタ(大憲章)が制定された。その後、この憲章は廃止されないまま忘れ去られており中世の時代の中でほとんど影響力を失うが、国王と議会の対立が激しさを増す17世紀に再度注目されることとなる。清教徒革命やアメリカ合衆国建国の際にもマグナ・カルタが引用され、現在のイギリス憲法を構成する前文にも残っている。
できごと


































1200年代
- 1200年代
- 1201年
- 1202年
- フランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンの大陸領土没収を宣言。
- フランスのノルマンディー侵攻からミラボー城の包囲まで続く。
- 教皇インノケンティウス3世が勧請した第4回十字軍がヴェネツィアに集結。
- レオナルド・フィボナッチが『算盤の書』でヨーロッパにアラビア数字を紹介する。
- シトー会のアルベルトがリガにリヴォニア帯剣騎士団を創設。
- 源頼家が明菴栄西を開山に迎え京都建仁寺が創建される。
- フランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンの大陸領土没収を宣言。
- 1203年
- インド仏教の中心地だったヴィクラマシーラ寺院がイスラム軍に破却される。
- ゴール朝の将軍ムハンマド・バフティヤール・ハルジーのベンガル制圧の一環として行われる。
- この事件でインド仏教は滅亡したとされ、破壊を逃れた僧侶はチベットなどの近隣に亡命する。
- 比企能員の変。源実朝が鎌倉幕府第三代将軍となる。前将軍源頼家が伊豆修禅寺に幽閉される。北条時政が初代執権に就任。
- 運慶・快慶らにより東大寺南大門金剛力士像が完成する。
- 第4回十字軍がコンスタンティノポリスに入城する。
- 東ローマ皇帝アレクシオス3世アンゲロスが追放される。
- 廃位されていた兄のイサキオス2世アンゲロスが復位する。
- 十字軍を手引きした息子アレクシオス4世アンゲロスが共同皇帝となる。
- インド仏教の中心地だったヴィクラマシーラ寺院がイスラム軍に破却される。
- 1204年
- 東ローマ帝国でアレクシオス5世ドゥーカスの簒奪。
- 息子アレクシオス4世、父イサキオス2世両者ともに殺害される。
- 十字軍への軍資金協力を新帝アレクシオス5世は拒否。
- 第4回十字軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃し占領。
- 伊賀・伊勢平氏の叛乱(三日平氏の乱)。前将軍源頼家が殺害される。
- 東ローマ帝国でアレクシオス5世ドゥーカスの簒奪。
- 1205年
- 1206年
- 1207年
- 承元の法難。
- 南宋の韓侂冑が暗殺される(玉津園の変)。
- 1208年
- 南宋と金の嘉定の和議。
- 1209年
- 教皇インノケンティウス3世が小さき兄弟会(フランシスコ会)を認可。
- 教皇インノケンティウス3世がイングランド王ジョンを破門する。
- フランス王フィリップ2世によるアルビジョア十字軍始まる( - 1229年)。
- ケンブリッジ大学が創設される。
1210年代
- 1210年
- 1211年
- 1212年
- 1213年
- 1214年
- 1215年
- 1216年
- 教皇ホノリウス3世が説教者修道会(ドミニコ会)を認可。
- 1217年
- 1218年
- 1219年
1220年代
- 1220年
- 1221年
- 1222年
- 1223年
- 1224年
- 1225年
- アイケ・フォン・レプゴーにより『ザクセンシュピーゲル(ザクセン法鑑)』が編纂される。
- ボスニア十字軍。
- エルサレム女王イザベル2世と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の結婚。
- 大江広元死去、北条政子死去、評定衆の設置。
- 1226年
- 1227年
- 1228年
- 破門された神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が第6回十字軍を起こす(破門十字軍)。
- 1229年
1230年代
- 1230年
- 寛喜の大飢饉( - 1231年)。
- 1231年
- 寛喜新制。
- メルフィの会議において神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が『皇帝の書(リベル・アウグスタリス)』を発布する。
- 1232年
- 1233年
- 教皇グレゴリウス9世が異端審問制度を導入し、ドミニコ会に審問を委託する。
- シュテディンガー十字軍( - 1234年)。
- 1234年
- 1235年
- 1235年頃
- 1236年
- 1238年
- タイでスコータイ朝成立。
- 東ガンガ朝のナラシンハ・デーヴァ1世が即位。
- この王のもとでコナーラクのスーリヤ寺院が建設される。
- アラゴン王ハイメ1世によるバレンシアの征服(アラゴン王国のレコンキスタ完了)。
- 1239年
1240年代
- 1240年
- ネヴァ河畔の戦いでノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーがスウェーデン軍を破る。
- モンゴルのバトゥがキエフを制圧しキエフ大公国が滅亡。
- この時期までにルーシ各地がモンゴルの支配下におかれる(タタールの軛)。
- 1240年頃
- 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がカステル・デル・モンテを建設。
- 1241年
- 1242年
- 1243年
- 1244年
- 藤原頼嗣が鎌倉幕府第5代将軍となる。
- 道元が越前永平寺を開く。
- エルサレムが再びアイユーブ朝に奪回される。ラ・フォルビーの戦い。
- 最後のカタリ派の根拠地モンセギュールが陥落する。
- 1245年
- 1246年
- 1247年
- 宝治合戦(三浦氏の乱)。
- 1248年
- 1249年
1250年代
- 1250年
- マンスーラの戦いとファルスクールの戦いでエジプトのマムルーク軍団が十字軍に勝利しルイ9世を捕虜とする。
- マムルーク軍団はトゥーラーン・シャーを倒しシャジャル・アッ・ドゥッルを君主に擁立(マムルーク朝成立)。
- スウェーデン王ビルイェル・ヤールによるフィンランド遠征(北方十字軍)。
- マンスーラの戦いとファルスクールの戦いでエジプトのマムルーク軍団が十字軍に勝利しルイ9世を捕虜とする。
- 1250年頃
- 1251年
- 1252年
- 1253年
- モンケ・カアンの命によるフレグの征西が始まる。
- クビライの雲南・大理遠征により大理が降伏する。
- フランス国王ルイ9世の命でウィリアム・ルブルックがモンゴル帝国に派遣される。
- 日蓮が安房国清澄寺にて開教立宗。
- 北条時頼が蘭渓道隆を開山に迎え建長寺が創建される。
- ハールィチ・ヴォルィーニ大公ダヌィーロ・ロマーノヴィチがローマ教皇インノケンティウス4世からルーシ王の称号を授かる。
- 1254年
- 1255年
- 1256年
- 北条長時が鎌倉幕府第6代執権に就任。
- クビライが閃電河河畔に開平府(後の上都(ザナドゥ))を築く。
- 教皇アレクサンデル4世により各地の隠修士団体が統合され聖アウグスティノ修道会が成立する。
- 1257年
- 1258年
- バグダードの戦いで勝利したモンゴルのフレグがバグダードへ入城。
- シモン・ド・モンフォールらが国王ヘンリー3世にオックスフォード条項を認めさせる。
- 翌1259年にウェストミンスター条項に拡大される。
- 正嘉の飢饉。
- 1259年
1260年代
- 1260年
- クビライが開平府にて即位し、カラコルムのアリクブケと帝位を争い内戦になる。
- 元で基本通貨となる交鈔「中統元宝交鈔(中統鈔)」が発行される。
- 日蓮が『立正安国論』を著わし前執権の北条時頼に送る。
- フレグがイラン・イラクで自立してフレグ・ウルス(イルハン朝)が成立。
- マムルーク朝がモンゴル軍をアイン・ジャールートの戦いで破る。マムルーク朝スルタンにバイバルスが即位。
- フランスのシャルトル大聖堂が竣工し献堂式が行われる。
- モンタペルティの戦いで、シエーナがフィレンツェに勝利する。
- ペラゴニアの戦いで、ニカイア帝国がラテン帝国・エピロス専制侯国の連合軍に勝利する。
- 古プロイセンの大蜂起( - 1274年)。
- 1261年
- ニカイア帝国がジェノヴァとニュムファエウム条約を締結し、帝国内での特権を承認し軍事援助を引き出す。
- ニカイア帝国がラテン帝国からコンスタンティノポリスを奪回。
- マムルーク朝のバイバルスがアッバース朝最後のカリフの叔父をカイロに迎え入れカリフ・ムスタンスィル2世として擁立。
- チベット仏教サキャ派の僧侶パスパがモンゴル帝国の国師となる。
- 1262年
- 1263年
- ラーグスの戦いで、スコットランド王アレグザンダー3世がノルウェー王ホーコン4世のスコットランド上陸を阻止し撃退。
- リトアニア国王ミンダウカスが暗殺され、リトアニアに異教が復活する。
- 1264年
- 1265年
- 1266年
- 1267年
- 1268年
- 1269年
1270年代
- 1270年
- フランス国王ルイ9世による第8回十字軍。ルイ9世はチュニスで熱病にかかり死去。
- パリ司教エティエンヌ・タンピエによる13命題の異端宣言。
- エチオピアでザグウェ朝を滅ぼしたイクノ・アムラクがソロモン朝を興す。
- 1271年
- 1272年
- 1273年
- 1274年
- 1275年
- 1275年頃
- 1276年
- 1277年
- 1278年
- マルヒフェルトの戦いで神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がベーメン王オタカル2世に勝利。
- フランスのフォア伯とスペインのウルヘル司教の共同領主権のもとでアンドラの自治が認められる。
- ロジャー・ベーコンがフランシスコ会に断罪され投獄される。
- 1279年
1280年代
- 1280年
- 1281年
- 1282年
- 1283年
- 1284年
- 1285年
- 1287年
- 1288年
- 白藤江の戦いで陳朝ベトナムが元朝に勝利。
- イルハン朝の使節ラッバーン・バール・サウマがローマ教皇ニコラウス4世ほか各国君主と会見。
- 1289年
1290年代
- 1290年
- 1291年
- 1292年
- ジャヤカットワンの反乱によりケルタナガラ王らが殺害されシンガサリ王国は滅亡する。
- 1293年
- 1294年
- ラデン・ウィジャヤが元朝をジャワから追い払い、マジャパヒト王国を建てる。
- クビライが死去し、テムルがモンゴル帝国(元)の第6代カアンとなる。
- 宣教師ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノが大都に到着。
- ケレスティヌス5世が在位半年で教皇を退位し、ボニファティウス8世が教皇となる。
- 1295年
- 1296年
- 1297年
- 鎌倉幕府が永仁の徳政令を出す。
- スターリング・ブリッジの戦いで、ウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍がイングランド軍を撃破。
- フランソワ・グリマルディらがモナコの要塞を占拠(モナコ公国の始まり)。
- 1298年
- フォールカークの戦いで、エドワード1世率いるイングランド軍がスコットランド軍を撃破。
- コルチュラの戦いでジェノヴァがヴェネツィアに勝利、マルコ・ポーロが捕虜となる。
- 伏見天皇が譲位し、第93代後伏見天皇が即位。
- 1299年
1300年代
- 1300年
- 教皇ボニファティウス8世によりこの年が最初の「聖年(Iobeleus)」とされる。
- 異端とされた使徒兄弟団の始祖ジェラルド・セガレリがパルマで火刑に処される。
- 残党は各地に分かれドルチーノ派を結成する。
- 1300年頃


