サビル人
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歴史
• 主要な出来事 • 461年 アヴァール人(Avars)の攻撃を受け、サラグール(Saragur)、ウログ(Urog)、オノグル(Onogur)族を北へ追いやった。515年 コーカサス南部を大規模に侵攻し、東ローマ帝国帝国とサーサーン朝ペルシアの両方を攻撃。ペルシアと同盟を結んだ。520年代 女王ボアレクス(Boareks)が東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世と同盟し、フン族指導者たちを撃破。10万人を統治し、2万人の軍勢を率いた。 552年 アヴァール人の脅威に対し、東ローマ側に寝返りコーカサスを侵攻。 7世紀頃には衰退して行き、残存グループはハザール・カガン国やブルガール人に同化。東ローマの記録では、ハンガリー人(Magyars)が自分たちを「sabartoi asphaloi」(堅固なサビル人)と呼んでいたとされ、一部がハンガリー人の祖先と関連付けられる理論がある。[1][2]
族長
- バラク(テュルク語のバラク、「子供、少年」「動物の若者」)
- ボア/ボアレス/ボアレクス - サビル女王、バラクの未亡人
- バルマク/バルマク(テュルク語バルマク、「指」)
- イリガー(テュルク語の「王子」)
- クティツィス(テュルク語の「天の幸運」-「陛下」)[3]
