サルリオーネ (スポレート公)

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スポレート公サルリオーネ(Sarlione di Spoleto)またはサルリオ(Sarlio)[注釈 1]は、スポレート公(在位:940年 - 943年)。プロヴァンス出身で、イタリア王ウーゴ宮中伯として仕えた[2]

クレモナのリウトプランドによると、イタリア王ウーゴはサルリオーネに、スポレート公アンスカーリオに対し反乱を起こすための資金を与えた。サルリオーネは前スポレート公でウーゴの甥にあたるテオバルド1世の未亡人と結婚し、スポレートの情報を手に入れ、臣下を味方につけた[2][3]。正確な時期は明確でないが、サルリオーネはアンスカーリオに対し反乱を起こし、アンスカーリオはスポレートを去りスポレートの戦い(en)に参加した。サルリオーネ自身はこの戦いには参加しなかったが、サルリオーネの軍が勝利し、アンスカーリオが戦死した[3]

941年、ウーゴはトスカーナ辺境伯領およびフェルモ辺境伯領の修道院を手に入れ、サルリオーネに与えた[4]。『ファルファ年代記(Chronicon Farfense)』によると、サルリオーネは「サビナの教区牧師」の称号を用いていたという。943年、ウーゴはサルリオーネに対し、前スポレート公アンスカーリオ殺害について糾弾し、修道院に引退させた。ウーゴはスポレート公位を、自身の庶子で、トスカーナ辺境伯であったウベルトに与えた[2]

引用

参考文献

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