10世紀中頃から、ベルベル人のゼナト同盟の一族であるマグラ族がコルドバ・カリフ国に参加した。マグラ族はファーティマ朝に対する遠征に参加した。977年、南部マグラ族の指導者であるハズルン・イブン・ファルファル・イブン・ハザールは、ハジブ・アル・マンスールの支援を受け、ハワーリジュ派の一派、スフル派を信仰していたためにスンナ派と対立していたミドラール朝シジルマサ・イマーム国へと対抗した。同時にシジルマサは、900年代初頭から大きな影響力を持ったファーティマ朝によって領有を主張された。そのため、ファーティマ朝のシジルマサ領有を阻止するための遠征が行われ、その結果、マグラ族はシジルマサを占領し、イマーム国を滅ぼした。
その結果、ハズルンはエミール(首長)の称号を貰い受け、コルドバのカリフから権威を認められた。それ以来、シジルマサではハズルン朝が支配するようになった。ハズルンの後継者となったバヌディエは、979年、シジルマサを占領したファーティマ朝の属国であるズィール朝と戦わなければならなかった。しかし、980年にはアル・マンスールの助けで首長位へ復帰した。
995年から999年にかけて、シジルマサの首長らはアル・マンスールと緊張関係に陥り、その結果、ハズルン朝は何度も権力を奪われることになった。結局、ハズルン朝は最終的にはなんとかコルドバ・カリフ国と和解することができた。
1012年、コルドバ・カリフ国が崩壊すると、バヌディエ首長はシジルマサの独立を宣言した。その後、シジルマサは領土拡大のための遠征を始め、まずはドラア地方を征服した。1016年にはフェズ首長国との戦争が始まり、1017年にはムルヤ川渓谷のスフルイ地域を奪うことに成功した。その後、シジルマサ首長国はフェズとの戦争に勝利したが、フェズ首長国を完全に征服することはできなかった。
1040年代半ばには、アブドゥッラー・イブン・ヤシン率いるムラービト朝との戦争が始まった。1053年、マスード首長はムラービト朝に敗れ殺害され、マスードの領地はアルモラヴィッド国の一部となった。しかし、ハズルン朝シジルマサ首長国は1063年までスフルイ地方で戦いを続け、1071年になってようやくムルヤ渓谷でムラービト朝に敗北した。