シャルマ

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ヤズルカヤの岩の神殿の小回廊Bにある、神シャルマと、少年の姿の王トゥトハリヤを描いている岩壁の浮き彫り。紀元前1250年-1220年頃のものと推定されている。

シャルマ[1]サルマとも。Šarruma、: Sharruma)は、フルリ人の神話を起源としヒッタイト神話にも取り込まれている[2]。山の神[3]、牡牛の神[4]とされる。 嵐の神テシュブ英語版[3]と女神ヘバト英語版の息子[4]である。

紀元前2千年紀の初め頃から後半にかけてメソポタミア北部を中心に勢力を広げていたフルリ人が信仰していた神々は、地元の旧来の神々としばしば習合していった。ヒッタイト王国では、それまでに多くの民族の神々を受け入れていたが、フルリ人の神々が伝わってくるとそのまま受容していった。新王国時代のヒッタイトでは国家を守護する神々がフルリ人の信仰に由来する神々とされた。首都ハットゥサ(現在のボアズキョイ)にほど近い岩山には、紀元前13世紀ヒッタイトの王トゥトハリヤ4世が築かせた、ヤズルカヤと呼ばれる岩の神殿があるが、神殿の壁にはテシュブやシャルマといったフルリ由来の神々の浮き彫りがつくられている[5]

スッピルリウマ1世[注 1]の治世以降、シャルマはヒッタイトの国家神のうちの1柱とされた。その後、トゥトハリヤ4世[注 2]はシャルマを自身の個人神とした[6][注 3]。ヤズルカヤの岩の神殿には、少年の姿のシャルマが母神ヘバトと共に描かれた浮き彫りの他に、少年の姿をしたトゥトハリヤ4世が力のある大人の姿のシャルマに肩を抱かれている様子を描いた浮き彫りもつくられており[8]、そこではトゥトハリヤ4世自身が神格化されている[9]

神話

脚注

参考文献

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