シャルル・ボネ
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サン・バルテルミの大虐殺後、ユグノーであるゆえ宗教的迫害を受けフランスからジュネーヴに逃れた家系の出身であり、この地に生まれた。同じく博物学者のアブラハム・トランブレー(仏語発音はアブラム)は従兄にあたる。ジュネーヴから出ることなく、1752年から1768年の間、共和国の評議会議員となった時期を除いて、社会的な活動を行うことはなかった。16歳の時にノエル=アントワーヌ・プルーシェ(仏語発音はプリュシュ)の『自然の光景』(Spectacle de la nature) を読み、昆虫の生態に興味を持った。昆虫学者のルネ・レオミュールの著書も読み、自らも昆虫の観察を加えて1740年にアブラムシ(aphids)の「単為生殖」を確認した論文をパリの科学アカデミーに送り、アカデミーの通信会員に選ばれた[1]。
1741年からヒドラなどの生殖や再生の研究を始めた。1743年にロンドンの王立協会の会員に選ばれた[1][2]。1745年に昆虫に関する発見を記述した最初の著書 Traité d'insectologie (『昆虫論』) を出版した。1754年に植物学の著書 Recherches sur l'usage des feuilles dans les plantes (『植物における葉の機能の研究』) を出版した。その後、視力を失い哲学に転じた。1760年には Essai analytique sur les facultés de l'âme (『魂の諸能力に関する分析試論』) において[1]、視力障害者に特有な幻視の症状「シャルル・ボネ症候群」の記述をした。
他に、哲学の著作である Essai de psychologie (『心理学試論』) (1755), Considérations sur les corps organisés (『有機体論考』) (1762), La palingénésie philosophique (『哲学的新生』) (1769), 博物学の著作である Contemplation de la nature (『自然の観照』) (1764) などがある。
