シャー・シュジャー (ムザッファル朝)
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即位
1331年、初代君主ムバーリズッディーン・ムハンマドの長男として生まれる。
父を幽閉
1359年、シャー・シュジャーと弟のシャー・マフムードは父のムバーリズッディーン・ムハンマドが三男に位を譲るのではないかと疑い、彼をイスファハーンに幽閉した[1]。二人は焼きごてで父の目を潰し、ムバーリズッディーン・ムハンマドは1364年に死んだ[1]。
即位
シャー・シュジャーは国政を執り、シャー・マフムードにイスファハーン州を与えた[1]。この二人は間もなく不和になり、互いに戦争をした[1]。マフムードは宗主としてジャライル朝のシャイフ・ウヴァイスを承認し、シャイフ・ウヴァイスの娘を妻とした[1]。
1374年、シャイフ・ウヴァイスとシャー・マフムードが死去すると、シャー・シュジャーは脅威から免れることができた[1]。ジャライル朝ではシャイフ・ウヴァイスの子フセインが後を継いだが、柔弱であったため、シャー・シュジャーは精鋭1万2千を率いてアーザルバーイジャーンに侵攻し、カズヴィーン城を攻略、迎撃に来たフセインを破って引き返した[1]。
死去
1384年、シャー・シュジャーが亡くなると、長男のスルターン・ザイン・アル=アービディーンが王位を継承した[2]。