シュタットバーンは1894年から1901年までの間に、ウィーン川とドナウ運河に沿って建設された。当初構想された路線のうち建設されなかったものもあり、旧市街を横断して、ギュルテル通りに沿いウィーン南駅まで至る計画もあった。これらが実現していればシュタットバーンはより魅力的な交通になったであろうが、予算の制約から建設はなされなかった。高い運賃や煤煙、遅い速度のため、利用者はあまり多く得られなかった。
1918年、シュタットバーンの運行は、第1次世界大戦後の石炭不足により停止された。その後、各路線はウィーン市に貸し出されることになり、電化された上で1925年に「ウィーン電気都市鉄道 (Wiener Elektrische Stadtbahn) 」の名で運行を再開した。
多くの駅と路線は、第2次世界大戦で破壊された。1955年にようやく再建がなされ、歴史的な駅の一部は復旧されることはなかった。1968年、シュタットバーンをウィーンの新しい地下鉄に組み込むことが決定された。WD線はU4号線に1981年に転換され、G線とGD線は1989年にU6号線に転換されて、シュタットバーンの語はこれ以後公式に用いられることはなくなった。
シュタットバーンの駅舎は早期のアール・ヌーヴォー様式建築のよく知られた一例である。最も有名なものはオットー・ワーグナーの設計によるカールスプラッツ駅の2つの駅舎(現在それぞれカフェと美術館になっている)と、フランツ・ヨーゼフ皇帝専用に造られたホフパビリオン (Hofpavillon) (ヒーツィング駅の東端にあり展示施設に利用)である。その他、ギュルテル (Gürtel) 通り沿いの高架駅と、郊外のいくつかの駅が保存されている。