シュテファン・エンドリヒャー
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ブラチスラヴァ(現在はスロバキア)に生まれた。神学を学んだ。1828年にオーストリアの写本資料を整理するために国立文書館の仕事についた。同時に博物学とくに植物学や東アジアの言葉を学んだ。
1836年に王室の自然史のキーパーに任じられ、1840年にウィーン大学の教授、植物園長に任じられた。植物学の多くの著作を行った。フランツ・ウンガー(Franz Unger)の『植物学の基礎』("Grundzüge der Botanik")に多くの図版を加えて再刊した。オーストリア帝立科学アカデミー(Akademie der Wissenschaften)の設立を主導したが、会長にはヨーゼフ・プラマー・フォン・プルグスタール(Joseph Hammer von Purgstall)男爵が選ばれ、アカデミーの仕事から退いた。蔵書と標本を国に寄付し、10年以上毎週数時間皇帝のサークルで過ごしたが、評議員の地位を受けただけだった。
自由主義者として知られたが、1848年の革命では仲介者として働くことを求められたが、しばらくウィーンを去らざるをえなくなった。1848年にはフランクフルト議会の議員になった。
