正式には、ヤーノシュ2世は「トランシルヴァニアおよびハンガリー王国の一部(パルティウム)の君主」(ラテン語: princeps Transsylvaniae et partium regni Hungariae dominus)を名乗ることになった[2]。一般には、トランシルヴァニア公国はハンガリー王国に従属する地位であると認識された[3]。しかし1571年にヤーノシュ2世が死去したのち、ハプスブルク家が支援する候補を退けて公位を継いだバートリ・イシュトヴァーンのもとで、トランシルヴァニア公国は改めてハプスブルク家との繋がりを断ち、オスマン帝国を宗主とする道を選んだ。