ショパン音楽アカデミー
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沿革
アカデミーは1810年に国立演劇学校として設立された。院長のユゼフ・エルスネルにより音楽科の基盤が作られた。1821年にワルシャワ大学の音楽学部に組み込まれ、本格的な音楽教育を施した。1826年から1829年までの3年間、フレデリック・ショパンはこのアカデミーで学んだ。
ポーランドで起こった十一月蜂起の鎮圧のため他国の侵攻を受けて、ワルシャワ大学が1831年に消滅、同時にアカデミーも消えた。30年後の1861年、アカデミーはthe Apolinary Katski Institute of Musicにより、第一次世界大戦後にポーランドの独立が回復するまで引き継がれた。その後アカデミーは国立化、「コンセルヴァトワール」名称で第二次世界大戦の勃発まで機能した。ナチス・ドイツによる占領後は「ワルシャワ音楽学校」に名前を変え、戦前のカリキュラムを続けた。1944年アカデミーはワルシャワ蜂起によって校舎を破壊された。
戦後はAkademia Muzyczna im. Fryderyka Chopina(英語: The Fryderyk Chopin Academy of Music)となり、1946年に授業が再開される。1962年には、すべての学科の学位を授与するよう改革がなされた。そして、1979年に現在の学校名へ変更した。
教育体制
アカデミーは、4 - 5年制の本科(studia)と2年制の研究科(staz)からなる。本科は6つの専攻科と1つの分科に分けられる。
- 指揮・作曲科
- 鍵盤器楽科
- 管弦楽科
- 声楽科
- 音楽教育科
- 音響学科
- ビアウィストック分科
著名な卒業生
- カリ・アミリアン
- グラジナ・バツェヴィチ
- トーマス・ベトガー
- エリーザベト・ホイナツカ
- フレデリック・ショパン
- ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス
- スワヴォミル・ドブジャンスキ
- イグナツィ・フェリクス・ドブジンスキ
- マリアン・フィラル
- グジェゴシュ・フィテルベルク
- ミェチスワフ・カルウォーヴィチ
- ステファン・キシェレフスキ
- パヴェウ・クレツキ
- トマシュ・コニエチュニー
- ヒラリー・コプロフスキー
- ベルナルト・ワディシュ
- ワンダ・ランドフスカ
- イェジ・レフェルド
- マチェイ・ウカシュチク
- ヴィトルト・ルトスワフスキ
- ヤン・マクラキェヴィチ
- マチェイ・マウェツキ
- ジグムント・ノスコフスキ
- ヤクブ・ユゼフ・オルリンスキ
- イグナツィ・ヤン・パデレフスキ
- アンジェイ・パヌフニク
- アデリーナ・パスカリス=スーヴェストル
- オルハ・パシチニク
- ピョートル・ペルコフスキ
- セルギウシュ・ピンクヴァルト
- ハニア・ラニ
- ルドミル・ルジツキ
- サナ
- アントニ・シャウォフスキ
- スタニスワフ・シュピナルスキ
- アダム・シュタバ
- トマシュ・シュカルスキ
- アレクサンデル・タンスマン
- ピョートル・トマシェフスキ
- ズビグニェフ・トゥルスキ
- エウゲニア・ウミンスカ
- モシェ・ヴィレンスキー[1]
- マウゴジャータ・ヴァレフスカ
- ミェチスワフ・ヴァインベルク
- カジミェシュ・ヴィウコミルスキ
- ロジャー・ウッドワード
- ユスティナ・ザンコ