『ラヴレンチー写本』[注 2]の1110年の頁の後に、「聖ミハイル(:ヴィードゥビチ修道院を指す)の典院シリヴェストルは年代記者たちと共に著述をなした」という主旨の記述がある。また、シリヴェストルはネストルが書き上げていた年代記(原初年代記の諸本の1つ)を、1116年からシリヴェストルの死去する1123年の初めまでの間に書き換える作業を行っていたとみられる[3]。 その作業は再筆のみならず、再編・加筆もなされたと考えられている[4]。
シリヴェストルの出生地・出生年については知られていない。1119年1月1日にペレヤスラヴリ主教に叙され、1124年4月23日に同地で死亡した。キエフ・ペチェールシク修道院の墓地の1つは、シリヴェストルの埋葬地とみなされている[5]。