シリヴェーストル・シチェドリン
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サンクトペテルブルクで生まれた。父親のフェオドシー・シチェドリン(Feodosiy Shchedrin)は彫刻家で帝国芸術アカデミーの学長であった。叔父に風景画家のセミヨン・シチェドリン(Semyon Shchedrin)がいる。9歳になった1800年から、サンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーで学び、叔父のセミヨン・シチェドリンやフョードル・アレクセーエフ、ミハイル・マトヴェーヴィッチ・イワノフ、ジャン=フランソワ・トマ・デュ・トモンといった風景画家に学んだ[1]。アカデミーでいくつかの賞を受賞し、1811年の作品でメダルを受賞し、国外留学の奨学金を与えられることになった。
ナポレオン戦争中であったのためにイタリアへの出発は1818年まで遅れ、ローマで巨匠たちの作品を研究した後、ロシア大公ミハイル・パヴロヴィチの注文でナポリの水彩画を描くためにナポリを訪れた[1]。ローマに戻った後、サンタンジェロ城を描いた代表作の「Новый Рим. Замок Святого Ангела」(1823/25)を描いた。この作品は人気になり10点ほどの別バージョンの注文を受けた。1823年に留学奨学金の支給が終わった後も、そのままイタリアで働くことにした。ローマやナポリとその周辺の風景を描き、海岸の風景や海辺の夜景などを描いた。ナポリのリゾート地、ポジリポ(Posillipo)で活動した「ポジリポ派」の最初期のメンバーとされる[2]。健康の悪化とともに不気味な印象の夜景を描くようになり、1830年にナポリに近いソレントで39歳で亡くなった。