シワコアトル
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アステカの宰相としてのシワコアトル
アステカの中心都市テノチティトランではその君主(トラトアニ)のほかにシワコアトルという職があった。シワコアトルはトラトアニに準ずる役職で、宰相ないし副王にあたる。
最初のシワコアトルはイツコアトルのときに立てられ、イツコアトルの甥のトラカエレルがその職についた。シワコアトルはテノチティトランの意思決定の上で大きな役割を果たし、アスカポツァルコを滅ぼして独立を達成するために役だった[3]。
トラトアニが主にテノチティトランの外で戦争や外交によってアステカの領地を拡大したのに対し、トラカエレルはテノチティトランの中にあって内政や軍事の相談役となり、トラトアニの留守をあずかり、帰還するトラトアニを歓迎したりする仕事を行った[4]。トラカエレルは祭儀においては女神シワコアトルの服を身につけた[1]。
トラカエレルは長命であり、次のモクテスマ1世、アシャヤカトル、ティソクの時代にも引き続いてシワコアトルをつとめた。ティソクの死後、トラカエレルをトラトアニに選ぼうとしたが、トラカエレル自分はすでに王の権力を持っているとしてこれを拒絶し、かわりにアウィツォトルをトラトアニに立てたと伝えられる[4]。
トラカエレルの没後、その子のトリルポトンキ(トリルポトンカツィン)が後をついでシワコアトルに就任した[5][6]。トリルポトンキの娘のツィワクショチツィンはモクテスマ2世の妻となり、2人の娘を生んだ[7]。
スペイン人がやってきたときのシワコアトルであるトラコツィンはトラカエレルの孫で[5]、最後のトラトアニのクアウテモクとともにエルナン・コルテスのホンジュラス遠征に同行させられた。1525年にクアウテモクが謀反の疑いで殺された後、彼の後をついでトラトアニに立てられたが、遠征からテノチティトランに戻る前に死亡した[8]。