シーモア家

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サマセット公シーモア家の紋章
ハートフォード侯シーモア家の紋章

シーモア家英語: Seymour family)は、イギリスの貴族の家系。

1547年サマセット公爵に叙せられたエドワード・シーモアを祖とする。2016年現在、爵位を持つシーモア家にサマセット公爵家とその分流であるハートフォード侯爵家の2つがある。

貴族としてのシーモア家の祖であるエドワード・シーモア (1506–1552)は、一介のナイトの息子にすぎなかったが、妹のジェーン・シーモアテューダー朝の国王ヘンリー8世の3人目の王妃となったことで急速に出世し、ビーチャム子爵やハートフォード伯位を与えられた。1547年1月に甥にあたる幼王エドワード6世が即位すると、その摂政として権勢をふるい、同年2月にサマセット公爵に叙せられたが、政敵である初代ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーとの政争に敗れ、1552年1月に大逆罪で処刑され、爵位も剥奪されるという末路をたどった[1][2]

この初代サマセット公は2度結婚しており、先妻キャサリン・フィロル英語版との間に男子2人、後妻アン・スタンホープ英語版との間に4男6女を儲けていた[2]

アンとの間の息子エドワード・シーモアは、1559年にハートフォード伯爵に叙された。その孫であるウィリアム・シーモア1640年ハートフォード侯爵に叙され、さらに1660年には曾祖父の爵位第2代サマセット公爵位の復権を許されている。特別継承権の規定で、サマセット公爵位の継承順位は後妻アンの男子が優先されていたためである[2]

一方、先妻キャサリンの系統の孫エドワード・シーモア英語版は、1611年準男爵に叙せられている。この準男爵家は自分たちこそがシーモア家の嫡流との意識が強かったという[3]

第4代準男爵サー・エドワード・シーモア英語版の次男フランシス・シーモア=コンウェイは、1703年にコンウェイ男爵に叙されており、さらにその息子第2代コンウェイ男爵フランシス・シーモア=コンウェイ1750年にハートフォード伯爵、1793年にハートフォード侯爵に叙せられている。これがハートフォード侯爵家の始まりである[4]

サマセット公爵位の方も1750年に第7代サマセット公爵アルジャーノン・シーモアが死去したことで後妻アンの系統の男系男子が絶え、先妻キャサリンの家系に移ることになり、第6代準男爵エドワード・シーモアが第8代サマセット公爵位を継承した。以降今日に至るまでサマセット公爵位は彼の男系男子によって継承されている[2]

2016年現在、サマセット公爵家の当主は第19代サマセット公ジョン・シーモア英語版である[2]。一方ハートフォード侯爵家の当主は第9代ハートフォード侯ヘンリー・シーモア英語版である[4]

家系図

脚注

参考文献

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