1972年ノートルダム大学で英文学の学士号を取得し卒業。大学卒業後、1977年まで専業プロポーザルライターとなる。1974年と1976年の二度クラリオン・ワークショップに参加する。
1980年代、友人であるジョン・ケッセルと共に「ヒューマニスト/サイバーパンク」論争に巻き込まれる。ケリーとケッセルは共にヒューマニスト派であったが、ケリーは The Prisoner of Chillon (1985) や Rat (1986) などサイバーパンク・ライクな小説を幾つか書いていた。
1975年処女作を刊行。以後中編から短編において、SFの主立った賞を幾たびも受賞する。現在もまたクラリオン・ワークショップやシカモア・ヒル・ワークショップなどのSF関連ワークショップにたびたび参加し、指導を行っている。
また1998年よりニューハンプシャー・ステート・カウンシル・オン・ジ・アーツに加わり、2004年議長に就任する。
現在はサザン・メイン大学ポピュラー・フィクション学部に属し、ストーンコーストMFAプログラムのため、ケリー・リンクと共に、クリエイティブ・ライティングの教鞭を執っている。
アシモフ誌の熱心な寄稿者の一人であり、かつてノンフィクションのコラム On the Net を数年にわたって連載していた。過去12年間のアシモフ誌の6月号には、ケリーの作品が掲載されている。