ジェイ・P・モーガン

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生誕 Mary Margret Morgan
(1931-12-03) 1931年12月3日(94歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国コロラド州モンテズマ郡マンコス
職業 歌手・女優
テレビ番組 ザ・ゴングショー
肩書き 審査員
ジェイ・P・モーガン
Jaye P. Morgan
1968年のモーガン
生誕 Mary Margret Morgan
(1931-12-03) 1931年12月3日(94歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国コロラド州モンテズマ郡マンコス
職業 歌手・女優
テレビ番組 ザ・ゴングショー
肩書き 審査員
公式サイト jayepmorgan.com
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ジェイ・P・モーガン(Jaye P. Morgan、1931年12月3日 - )は、アメリカ合衆国の元ポピュラー音楽歌手女優ゲーム番組パネリスト。

生い立ち

コロラド州最南西のモンテズマ郡マンコスで生まれる[1][2]。ハイスクール時代に一家はカリフォルニア州に転居。モーガンには5人の兄弟と1人の姉妹がいる[1]。1940年代後半、ロサンゼルスタジャンガのヴェルデューゴ・ヒルズ・ハイスクール在学中はクラスの会計係を務めていたので、銀行家ジョン・ピアポント・モーガンにちなんでジェイ・P (Jaye P.) とあだ名を付けられた[1]。また学内の集会で兄弟のギターを伴奏に歌っていた[1]

1950年代

モーガンだけでなく3人の兄弟も歌手になった。上からディック、デューク、チャーリー、ジェイ・P。1959年出演の「ジミー・ディーン・ショー」より。

1950年、ハイスクールを卒業した1年後にダービー・レコード英語版にて、かつてビルボードヒットチャートで全米トップ10入りを果した名曲「人生は一籠のサクランボ英語版」をレコーディングし、1954年にポップスチャート26位を記録した。程なくRCAビクターと契約を結び[3]、ヒットチャート3位を記録し最大のヒット曲となった「That's All I Want from You」など1年間で5曲をヒットさせた[4]。他の著名なヒット曲としては 「The Longest Walk」[4]、「Pepper Hot Baby」などが挙げられる。1954年、マイケル・バイアーノと結婚。RCAとの6年間の契約の後、1959年にMGMレコード専属となった[1]

1954年から1955年にかけて、ABCの番組「Stop the Music」のボーカリストを務めた。1955年11月、イギリスの音楽誌NMEは、モーガンが米キャッシュボックス誌の人気投票で女性歌手の1位になったと報じた[5]

1956年、兄弟3人も出演した自身の冠番組「ジェイ・P・モーガン・ショー」を持ち[6]、他のバラエティ番組へのゲスト出演も増えていく。ロバート・Q・ルイス英語版のCBSバラエティ番組に登場する「ギャング」の創立メンバーになり[1]ジャッキー・グリーソン・ショーでグリーソンが休暇をとった特別回にルイスのメンバー全員と共に代役として出演した。1958年、ABCのパット・ブーンシェビー・ショールーム英語版に出演。1960年10月6日、NBCテネシー・アーニー・フォード英語版フォード・ショー英語版にゲスト出演した。

1960年代-70年代

1961年、ロナルド・レーガンがホストを務めるCBSのアンソロジー・シリーズ『ジェネラル・エレクトリック・シアター英語版』のエピソード「Money and the Minister」にサリー・ドワイト役で出演。1962年、ジャッキー・クーパー主演のCBSの軍事シットコムHennesey』のエピソード「Patti's Tune」でパティ・マックスウェルを演じた。同年、NBCの『ジョーイ・ビショップ・ショー英語版』の第1期26話「That's Showbiz」でキティ・フランダースとして起用された。1964年、NBCの医療ドラマThe Eleventh Hour』のエピソード「Sunday Father」でルース・エバンス役にキャスティングされる。

1960年代は、ナイトクラブ出演に多くの時間を割いた。1966年、CBSの『My Three Sons』のエピソード「Falling Star」で、落ち目の歌手クラウディア・ファレル役で出演[7]

1973年、ABCのシットコム『おかしな二人』のエピソード「The Songwriter」に本人役で出演[7]。1973年、映画『The All-American Boy』にマグダ・ヴァレンタイン役で出演し、その後も『アメリカ発 珍作映画情報英語版』(1980年)、『ナイト・パトロール英語版』(1984年)、『ホーム・アローン2』(1992年)などの映画にチョイ役で出演している[7]

1978年、『マペット・ショー』のエピソード2.18にゲスト出演[8]ドクター・ティース英語版と「ザット・オールド・ブラック・マジック英語版」を歌った[7]

ゲーム番組

1976年から1978年にかけて、人気ゲーム・バラエティ番組「ザ・ゴングショー」のレギュラー審査員を務めたが、胸を一瞬露出したため解雇された[7][9][10]。またABCのクイズ番組『Rhyme and Reason』やNBCのクイズ番組『Match Game』にも出演。舞台裏を描いた映画版の『ザ・ゴングショー・ムービー英語版』(1980年)にも登場、問題の胸部露出シーンが無修正で収録されている。またプレイボーイチャンネルのクイズ番組『Everything Goes』や、かつてのゴングショーの相方ジェイミー・ファー英語版と共に『Hollywood Squares』2004年Game Show Week IIに出演した。

2002年、『ザ・ゴングショー』、『The Dating Game』、『The Newlywed Game』を世に送り出したチャック・バリスの架空の人生を描いた[7][11]ジョージ・クルーニー監督映画『コンフェッション』に出演した[12]

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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