ジェルベルガ・ディ・マコン
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ジェルベルガ・ディ・マコン Gerberga di Mâcon | |
|---|---|
| イタリア王妃 | |
| 在位 | 950年 - 963年 |
| 別称号 |
イヴレーア辺境伯妃 ブルゴーニュ公妃 |
| 出生 |
940年頃 |
| 死去 |
986/91年 |
| 配偶者 | イタリア王アダルベルト2世 |
| ブルゴーニュ公アンリ1世 | |
| 子女 |
オットーネ=グリエルモ ジゼッラ アルドゥイーノ ジルベルト アメデーオ |
| 宗教 | カトリック教会 |
ジェルベルガ・ディ・マコン(Gerberga di Mâcon, 940年頃 - 986/91年)もしくはジェルベルガ・ディ・シャロン(Gerberga di Châlon)は、二度の結婚によりイタリア王妃(950年 - 963年)、イヴレーア辺境伯妃(965年 - 970年)、ブルゴーニュ公妃(971/5年 - 986/91年)となった女性。
フランス語名はジェルベルジュ・ド・マコン(Gerberge de Mâcon)、もしくはジェルベルジュ・ド・シャロン(Gerberge de Châlon)。
ジェルベルガの祖先については数説が議論された。ジェルベルガの両親はランベール・ド・シャロンとその妃であるブルゴーニュ公ジルベール公女でモー伯ロベール・ド・ヴェルマンドワ未亡人アデライードとする説が一般的に支持されてきた[1]。
というのも、ジェルベルガの息子オットーネ=グリエルモが後にマコン伯位を継承したことから、一部の学者はジェルベルガはむしろマコン伯家の子孫であるに違いないと誤解した説を主張し、それが一般化した[2]。
しかし、オットーネ=グリエルモがマコン伯となり得たのは先代マコン伯未亡人エルマントルド・ド・ルシーとの結婚による恩恵であり、マコン伯家との血族関係によるものではない。