ジェレミー・ウォザースプーン

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国籍 カナダの旗 カナダ
誕生日 (1976-10-26) 1976年10月26日(49歳)
出身地 カナダの旗フンボルト
カナダの旗レッドディア
身長 190cm
Jeremy Wotherspoon
ジェレミー・ウォザースプーン
2008年ワールドカップ(ヘーレンフェーン)
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
誕生日 (1976-10-26) 1976年10月26日(49歳)
出身地 カナダの旗フンボルト
カナダの旗レッドディア
身長 190cm
体重 85kg
獲得メダル
男子スピードスケート
カナダの旗 カナダ
オリンピック
1998 長野500 m
世界距離別選手権
2001 ソルトレイクシティ1000 m
2003 ベルリン500 m
2004 ソウル500 m
2008 長野500 m
1998 カルガリー1000 m
2001 ソルトレイクシティ500 m
2004 ソウル1000 m
1998 カルガリー500 m
2000 長野500 m
2005 インツェル500 m
世界スプリント選手権
1999 カルガリー総合
2000 ソウル総合
2002 ハーマル総合
2003 カルガリー総合
1998 ベルリン総合
2004 長野総合
2005 ソルトレイクシティ総合
2008 ヘーレンフェーン総合
2001 インツェル総合

ジェレミー・リー・ウォザースプーンJeremy Lee Wotherspoon1976年10月26日 - )は、カナダスピードスケート選手。恵まれた長身と[1]スピードスケートの歴史上最も優れたスプリンターの一人である。また極めて高い実力を持ちながらオリンピックを制することができなかった選手としても知られる。妹のダニエレ・ウォザースプーンもスピードスケート選手。[2]

カナダのサスカチュワン州フンボルトで生まれ、アルバータ州レッドディアで育った。スケートを始めた当初、アイスホッケーの技術を磨くためパワースケーティングの授業に申し込んだが、友人に誘われスピードスケートに熱中するようになった。初めはショートトラック競技とロングトラック競技の両方に参加していた。その後ロングトラックを専門にしてジュニアランクを駆け上り、17歳の時にナショナルチームでのトレーニングを受けることになり、拠点をカルガリーに移した。

彼はすぐに頭角を現し、1997年ISUワールドカップ・スピードスケートで初優勝を遂げた。1998年長野オリンピックでは、清水宏保の最大のライバルとして注目されたが、男子500m競技の1回目7位と出遅れ、五輪優勝が絶望視された。2回目ではなんとか2位に入り、総合で金メダルの清水に次いで銀メダルを獲得し、トップレベルの実力に達したことが証明される。しかし冬季オリンピックのメダル獲得はこれが唯一であった。

以降、彼は短距離種目を支配し、500mと1000mで世界記録を保持した。ソルトレイクシティオリンピックまでに、ワールドカップでは500mで3回(1998年1999年2000年)、1000mで4回(1998年、1999年、2000年、2001年)の総合優勝を果たした。

2002年ソルトレイクシティオリンピックでは金メダルの大本命として期待されたが、男子500m競技の1回目のスタートからわずか8歩目で大きくバランスを崩して転倒、棄権により一瞬にしてメダルを逃してしまった(2回目では参考記録ながら最速タイムをマークした)。1000mでも300m付近でバランスを崩して失速し13位でに終わった。

2006年トリノオリンピックでは500m9位、1000m11位に終わった。

2008年11月、W杯ベルリン大会で転倒し防御マットに激突。左上腕を骨折した。その後、リハビリを経て2009年12月に復帰した。

2010年バンクーバーオリンピックは地元の大声援を受けながらも、世界記録保持者として臨んだ500mは9位、1000mも14位に止まった。2010年シーズン限りで現役を引退した。通算でワールドカップ優勝67回(男子として歴代最多)、総合優勝は13回(500m8回、1000m5回)。世界記録はスプリント複合も合わせた3種目で16回更新した。

その後はドイツで後進の指導にあたっていたが、2013年6月に現役復帰を表明し、ソチ五輪でのメダル獲得を目指した[3]。2013年12月にカナダ代表選考競技会の500mのレースに出場したが、6位に終わり[4]、ソチ五輪への出場は果たせなかった。

自己記録

脚注

外部リンク

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