ジェームズ・キットソン (初代エアデイル男爵)
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生い立ち
ジェームズ・キットソン(1807年10月27日 – 1885年)と1人目の妻アン(Ann、ジョン・ニュートンの娘)の次男として[2]、1835年9月22日にリーズで生まれ、同地で洗礼を受けた[1]。ウェイクフィールド・プロプライエタリー・スクール、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで教育を受けた[1]。
実業家として
父は貧しい出自で、ジョージ・スチーブンソンの友人になり、ヨークシャーのエアデイルで機関車製造工場を起業して(キットソン・アンド・カンパニー)、1860年から1862年までリーズ市長を務めた人物だった[3]。1854年にハンズレットの鋳物工場で使用する鉄を調達すべくモンクブリッジ(Monkbridge)製鉄所を買い上げ、その管理を長男フレデリック・ウィリアム(1829年6月29日 – 1872年11月25日[2])と次男ジェームズに任せた[3]。兄が死去した後、ジェームズ・キットソンは一人で製鉄所を運営したうえ、ハンズレットの鋳物工場で父を手伝った[3]。キットソン社は1886年に株式会社に改組されたが、キットソンは以降も長男アルバート・アーネストや甥フレデリック・ジェームズの助力を借りつつ会社の経営に関わった[3]。
1886年8月28日、準男爵に叙された[1][4]。事業が成功したことで、イギリス鉄鋼協会の原加盟会員になり、1889年から1891年までは会長も務めた[3]。また1903年5月にはベッセマー・ゴールド・メダルを受賞した[3]。このほか、1859年に英国機械技術者協会会員、1876年12月にイギリス土木学会会員に選出され、1899年から1901年まで土木学会理事を務めた[3]。
地元では1880年から1881年までリーズ商工会議所(Leeds Chamber of Commerce)会長を務め[3]、1902年12月20日にウェスト・ヨークシャー連隊第3大隊(志願兵大隊)の名誉隊長に任命され[5]、1904年10月にリーズ大学からD.Sc.の名誉学位を授与され、1906年5月23日にリーズ名誉市民になり、1908年初にLeeds Institute会長に就任した[3]。
政治家として
政界では自由党を支持して、1880年にリーズ自由党協会(Leeds Liberal Association)会長に選出され、同年の総選挙でウィリアム・グラッドストンをリーズ選挙区で当選させた[3]。1883年から1890年まで全国自由党連盟会長を務めた[3]。
1886年イギリス総選挙で自由党候補としてリーズ・セントラル選挙区から立候補したが、4,212票対4,225票の僅差で保守党候補に敗れた[6]。1892年イギリス総選挙で再び自由党の候補になり、今度はコーン・ヴァレー選挙区から出馬して、4,987票対4,281票で自由統一党候補を下して庶民院議員に当選した[7]。1895年イギリス総選挙で4,276票、1900年イギリス総選挙で4,699票を得て再選、1906年イギリス総選挙では無投票で再選した[7]。
庶民院では老齢年金の導入に推進、1894年10月24日に全国老齢年金連盟(National Old Age Pensions League)が設立されたときはその会長に就任した[3]。関税問題をめぐっては自由貿易を支持し、宗教ではユニテリアン主義を支持した[3]。
1906年6月30日、枢密顧問官に任命された[1][8]。1907年7月17日、連合王国貴族であるウェスト・ライディング・オブ・ヨークシャーのグレッドハウにおけるエアデイル男爵に叙された[1][9]。
死去
1911年3月16日にパリで死去、22日にリーズ近郊のラウンドヘイで埋葬された[1]。長男アルバート・アーネストが爵位を継承した[1]。
家族
1860年9月20日、エミリー・クリスティーナ・クリフ(Emily Christina Cliff、1873年10月6日没、ジョセフ・クリフの娘)と結婚[1]、3男2女をもうけた[10]。
- アルバート・アーネスト(1863年10月7日 – 1944年3月11日[11]) - 第2代エアデイル男爵[1]
- ジェームズ・クリフォード(1864年12月6日 – 1942年9月25日) - 生涯未婚[10]
- エドワード・クリスチャン(1873年9月30日 – 1922年1月15日) - 1903年2月14日、メアリー・キャサリン・ハースト(Mary Katharine Hirst、1944年9月7日没、サミュエル・ハーストの娘)と結婚、子供あり[10]
- エミリー(1962年1月8日没) - 生涯未婚[10]
- アリス・ヒルダ(1944年4月22日没) - 生涯未婚[10]
1881年6月1日、メアリー・ローラ・スミス(Mary Laura Smith、1939年12月18日没、エドワード・フィッシャー・スミスの娘)と再婚、1男1女をもうけた[10]。
- ローランド・ダドリー(1882年7月19日 – 1958年3月20日) - 第3代エアデイル男爵[11]
- オリーヴ・メアリー(1964年6月11日没) - 1926年10月26日、ハロルド・エヴリン・ウィリアム・ベル・キングスリー(Harold Evelyn William Bell Kingsley、W・H・B・キングスリーの息子)と結婚[10]
