ジェームズ・ミュア=キャンベル (第5代ラウドン伯爵)

From Wikipedia, the free encyclopedia

第5代ラウドン伯爵ジェームズ・ミュア=キャンベルJames Mure-Campbell, 5th Earl of Loudoun1726年2月11日1786年4月28日)はイギリス陸軍の軍人、スコットランド貴族。軍人としての最終階級は陸軍少将[1]庶民院議員を1期務めたが、政治にはさほど興味を示さなかった[2]

サー・ジェームズ・キャンベル英語版第2代ラウドン伯爵ジェームズ・キャンベルの末男)と妻ジーン(Jean、1729年12月13日没、初代グラスゴー伯爵デイヴィッド・ボイル英語版の娘)の息子として、1726年2月11日にエディンバラで生まれた[1]。1729年12月13日に母が死去すると、ローアラン城英語版を相続し、母方の祖母の旧姓ミュア(Mure)を姓に加えた[1]

1740年にコルネット英語版(騎兵少尉)としてロイヤル・スコッツ・グレイズ英語版に入隊、1742年に中尉、1745年に大尉に昇進した[2]。1745年4月30日に父がフォントノワの戦いで戦死すると、パースシャーローズ英語版地所を相続した[1]

政治にはさほど興味がなかったが、伯父の息子にあたる第4代ラウドン伯爵ジョン・キャンベル英語版の手配により、1753年7月にエアシャー選挙区英語版で次の総選挙に向けての選挙活動が開始された[2]。現職のパトリック・クロフォード(Patrick Craufurd)のほか、第10代エグリントン伯爵英語版の弟にあたるアーチボルド・モンゴメリー閣下英語版も立候補したが、1754年4月まで長引いた交渉を経てモンゴメリーが撤退に同意した[3]。政府もミュア=キャンベルを支持し、ミュア=キャンベルは1754年イギリス総選挙でクロフォードに大差をつけて当選した[3]。もっとも、ミュア=キャンベルは政治では第4代ラウドン伯爵に追随して投票する程度であり、演説の記録はなかった[2]。政局の変動により1761年イギリス総選挙で議席を失ったが、ミュア=キャンベル自身は七年戦争のドイツ戦線で戦っており、特に不満を感じなかった[2]。以降二度と立候補することはなかった[2]

1754年に第11竜騎兵連隊英語版の少佐に昇進、1756年に近衛歩兵第3連隊の大尉に任命された[2]。1757年に第2竜騎衛兵隊英語版の少佐に、1762年に第21竜騎兵連隊英語版の中佐に昇進した[2]。同年にさらに大佐に昇進したが、1763年に半給となった[2]。晩年の1781年に少将に昇進した[2]

1782年4月27日に第4代ラウドン伯爵が死去すると、ラウドン伯爵位を継承した[1]

1786年4月28日にラウドン城英語版で死去、娘フローラが爵位を継承した[1]

家族

出典

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI