ジェームズ・ミュア=キャンベル (第5代ラウドン伯爵)
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サー・ジェームズ・キャンベル(第2代ラウドン伯爵ジェームズ・キャンベルの末男)と妻ジーン(Jean、1729年12月13日没、初代グラスゴー伯爵デイヴィッド・ボイルの娘)の息子として、1726年2月11日にエディンバラで生まれた[1]。1729年12月13日に母が死去すると、ローアラン城を相続し、母方の祖母の旧姓ミュア(Mure)を姓に加えた[1]。
1740年にコルネット(騎兵少尉)としてロイヤル・スコッツ・グレイズに入隊、1742年に中尉、1745年に大尉に昇進した[2]。1745年4月30日に父がフォントノワの戦いで戦死すると、パースシャーのローズ地所を相続した[1]。
政治にはさほど興味がなかったが、伯父の息子にあたる第4代ラウドン伯爵ジョン・キャンベルの手配により、1753年7月にエアシャー選挙区で次の総選挙に向けての選挙活動が開始された[2]。現職のパトリック・クロフォード(Patrick Craufurd)のほか、第10代エグリントン伯爵の弟にあたるアーチボルド・モンゴメリー閣下も立候補したが、1754年4月まで長引いた交渉を経てモンゴメリーが撤退に同意した[3]。政府もミュア=キャンベルを支持し、ミュア=キャンベルは1754年イギリス総選挙でクロフォードに大差をつけて当選した[3]。もっとも、ミュア=キャンベルは政治では第4代ラウドン伯爵に追随して投票する程度であり、演説の記録はなかった[2]。政局の変動により1761年イギリス総選挙で議席を失ったが、ミュア=キャンベル自身は七年戦争のドイツ戦線で戦っており、特に不満を感じなかった[2]。以降二度と立候補することはなかった[2]。
1754年に第11竜騎兵連隊の少佐に昇進、1756年に近衛歩兵第3連隊の大尉に任命された[2]。1757年に第2竜騎衛兵隊の少佐に、1762年に第21竜騎兵連隊の中佐に昇進した[2]。同年にさらに大佐に昇進したが、1763年に半給となった[2]。晩年の1781年に少将に昇進した[2]。