ジナイダ・ユスポヴァ
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| ジナイダ・ユスポヴァ Зинаида Юсупова | |
|---|---|
| ユスポフ家 | |
|
1882年頃撮影 | |
| 全名 | ジナイダ・ニコラエヴナ・ユスポヴァ |
| 出生 |
1861年9月2日 |
| 死去 |
1939年11月24日(78歳没) |
| 配偶者 | フェリックス・スマローコフ=エルストン |
| 子女 |
ニコライ・ユスポフ フェリックス・ユスポフ |
| 父親 | ニコライ・ユスポフ6世 |
| 母親 | タチアナ・アレクサンドロヴナ・デ・リビウピレ |
| 宗教 | ロシア正教会 |
ジナイダ・ニコラエヴナ・ユスポヴァ公女(ロシア語: Зинаи́да Никола́евна Юсу́пова, 1861年9月2日 - 1939年11月24日)は、ロシアの名門貴族ユスポフ家の女性相続人。グリゴリー・ラスプーチンの殺害者フェリックス・ユスポフの母親として知られる。

ジナイダは、タタールの雄エディゲの血を引くユスポフ家の最後の男系子孫として生まれた。父ニコライ・ユスポフ6世はニコライ1世の下で大法官を務め、母タチアナはグリゴリー・ポチョムキンの姪を母に持つ名門貴族出身だった。ユスポフ家は10万エーカー以上の広大な領地と多くの宮殿・工場・鉱山・油田を所有する名門であり、ジナイダもネフスキー大通りに巨大な宮殿を所有していた[1]。ジナイダは名門の令嬢として裕福な生活を送り、ロシア貴族社会で最も裕福な女性相続人として知られた。
ジナイダはモスクワ総督ニコライ・スマローコフ=エルストンの息子フェリックス・スマローコフ=エルストン伯爵を伴侶に選び、1882年4月4日に結婚した。1891年に義父ニコライが死去すると、アレクサンドル3世によって、スマローコフ=エルストン家の遺産をフェリックスが相続することを許された。フェリックスは1904年にセルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の副官に任命され、1914年にはモスクワ総督に就任した。
ジナイダは帝政ロシア末期の貴族社会における花形であり、その美貌と惜しみない豪華なもてなし振りで有名だった。また、彼女は公の場でこそないものの、ニコライ2世の妻アレクサンドラ皇后への厳しい批判を繰り返していた。皇后の実姉でエリザヴェータ・フョードロヴナ大公妃の親友であり、アレクサンドラに対し、ラスプーチンを信頼しないよう忠告したため、大公妃とともにラスプーチンからは「危険人物」とみなされた。彼女には長男ニコライと次男フェリックスの二子をもうけたが、ニコライは不倫相手の夫との決闘で死亡し、その後の彼女の人生に暗い影を落としている。
