ジャイ・シング(左)と家臣ゴーピーナート
1653年12月5日、メーワール王国の君主ラージ・シングの息子として、ウダイプルで誕生した[1][2]。
1680年10月、父王ラージ・シングが死亡したことにより、王位を継承した[1][2]。
この頃、メーワール王国はマールワール王国とともにとムガル帝国との戦争(第二次ムガル・ラージプート戦争)に突入していたが、1681年9月に講和が締結された。そのなかで、メーワール王国はジズヤの代わりにパルガナーを手放すこと、マールワール王アジート・シングを援助しないことを条件とし、5000の位のマンサブ(位階)が与えられた[3]。
1698年9月23日、ジャイ・シングはウダイプルで死亡し、息子のアマル・シング2世が王位を継承した[1][2]。