アルジェリアに着任した当初はカビリー山地に展開していた第27山岳歩兵旅団長を務め、その間に少将に昇進した。その年の12月にフォールはアルジェに向かい、県官房長であるポール・テチェンを訪問する。ここでテチェンに対してフォールは驚くべき内容の話を伝えた。それはクリスマス終了後にロベール・ラコスト総督が休暇に入ることが判っており、道中のところで逮捕してアルジェリア派遣軍総司令官に就任したばかりのラウル・サラン将軍を担ぎ出し、クーデターを起こそうとする話であった。この会話はテチェンの機転により録音されており、モーリス・ブルジェ=モーヌリ国防相に伝えられた。フォールは本国に召還され3ヶ月間の要塞内禁錮の刑に処された。
軍務に復帰した後はアルジェリアに戻りカビリー管区司令官などを務める。バリケードの一週間の終結後、暴動に関与した咎で本国に召還され閉職に就く。その後も政府に対して不満を持つ軍人達と接触を続け、1961年3月にはスペインマドリードにいたサランを訪ね、反乱を計画していることを伝えた。4月になり将軍達の反乱に参加、予定ではアルジェの動きに呼応してパリ郊外に待機させた、フォールの影響下にある空挺部隊と戦車部隊で政経中枢部の制圧を行なうはずであった。
4月23日、決起まもなく内務省国家警察に逮捕され、その後の裁判で禁錮10年の刑に処された。
1968年、恩赦により釈放され、1974年に軍籍回復が認められた。1988年に亡くなる。