モーリス・ブルジェ=モーヌリ
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1914年8月19日、ウール=エ=ロワール県リュイザン(英語版)で生まれた[1]。母方の祖父モーリス・モーヌリ(英語版)は第2次レイモン・ポアンカレ内閣で内務大臣を務めた政治家だった[1]。
ブルジェ=モーヌリは21歳のときにエコール・ポリテクニークに入学、第二次世界大戦では1940年に捕虜になって、1941年に釈放された[1]。レジスタンス運動に加わり、1942年にピレネー山脈を越えてフランスから脱出、ロンドンにたどり着いた[1]。その後、サヴォワへの派遣を経て、1944年6月のノルマンディー上陸作戦に参戦した[1]。
政界では急進社会党に所属し、トゥールーズ市議会議員、オート=ガロンヌ県議会議員を務めたほか、1946年6月フランス制憲議会選挙(英語版)でオート=ガロンヌ県から出馬して当選した[1]。1946年11月フランス国民議会選挙(英語版)で再選した後、1947年にベシエール村長、1949年にモンタストリュック=ラ=コンセイエール(英語版)村議会議員(以降1973年まで務める)に当選した[1]。
1947年11月に第1次ロベール・シューマン内閣の予算担当国務大臣に就任し、1948年予算案の国会弁論に関与したほか、共産党がブルム=バーンズ協定(英語版)を批判したときは協定を擁護した[1]。1948年7月のアンドレ・マリー内閣、同年9月の第2次シューマン内閣で軍事担当国務大臣を務めた[1]。1950年7月に第2次アンリ・クイユ内閣の公共事業大臣(英語版)に就任したが、内閣は10日で倒れた[1]。第2次クイユ内閣の次に成立した第1次ルネ・プレヴァン内閣、1951年3月に成立した第3次クイユ内閣でsecrétaire d'État à la Présidence du Conseilを務めた[1]。
1951年6月の選挙(英語版)で再選した後、同年8月に成立した第2次プレヴァン内閣で国防副大臣を務め、1952年1月から3月までの第1次エドガール・フォール内閣で軍需大臣を、1953年1月から6月までのルネ・マイエール内閣で財務大臣を務めた[1]。財務大臣として緊縮財政政策、軍の行政改革を主張し、関税の減税とアルコールの規制緩和を提唱した[1]。
1954年6月のピエール・マンデス=フランス内閣に貿易工業大臣として入閣したが、パリ協定に反対して9月に辞任した[1]。ブルジェ=モーヌリはパリ協定のうち、西ドイツの西欧同盟と北大西洋条約機構加盟を許可する条項については西ドイツの単独再軍備が行われず、ザール問題に関する協定が締結される場合には賛成できるとした[1]。その後、マンデス=フランスは1955年1月にブルジェ=モーヌリを軍事大臣として再入閣させた[1]。
1955年2月に第2次フォール内閣が成立すると内務大臣に転じた[1]。同年3月、フランス領アルジェリアを非常事態とみなす法案を提出した[1]。12月にフォールが国民議会を解散すると、ブルジェ=モーヌリは急進社会党の一員として内務大臣を辞任した[1]。
解散総選挙(英語版)で再選した後、1956年2月にギー・モレ内閣の国防大臣に就任した[1]。1957年6月にモレの後任として組閣し、11月まで閣僚評議会議長(首相)を務めた[1]。在任中にアルジェリア情勢を受けてアルジェリア自治法案を提出し、アルジェリアが国会に代表を送るなどの内容も盛り込んだが、253票対279票で否決され、ブルジェ=モーヌリは首相を辞任した[1]。次のフェリックス・ガイヤール内閣では内務大臣を務め、アルジェリアの緊急事態を延長する法案を提出した[1]。1958年3月に警察のデモでブルボン宮殿が包囲される事件が起き、ブルジェ=モーヌリは辞表を出した[1]。内閣は辞表を受け取らなかったが、結局4月に総辞職した[1]。6月にシャルル・ド・ゴールの首相就任に反対票を投じた[1]。同年11月の選挙(英語版)で落選[2]、以降二度と政界の要職に就かなかった[1]。
出典
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- ↑ 「M.ブルジェスモヌーリ」『20世紀西洋人名事典』。https://kotobank.jp/word/m.%E3%81%B6%E3%82%8B%E3%81%98%E3%81%88%E3%81%99%E3%82%82%E3%81%AC%E3%83%BC%E3%82%8A。コトバンクより2025年11月29日閲覧。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 ジャック・シャトラン(フランス語版) |
公共事業大臣(英語版) 1950年 |
次代 アントワーヌ・ピネー |
| 先代 ジュール・モック 国防大臣として |
軍需大臣 1951年 |
次代 ジョルジュ・ビドー 国防大臣として |
| 先代 アントワーヌ・ピネー |
財務大臣 1953年 |
次代 エドガール・フォール |
| 先代 ジャン=マリー・ルーヴル(英語版) |
貿易工業大臣 1954年 |
次代 アンリ・ウルヴル(フランス語版) |
| 先代 エマニュエル・タンプル(フランス語版) |
軍事大臣 1955年 |
次代 マリー=ピエール・ケーニグ |
| 先代 フランソワ・ミッテラン |
内務大臣 1955年 |
次代 エドガール・フォール |
| 先代 ピエール・ビヨット |
国防大臣 1956年 – 1957年 |
次代 アンドレ・モーリス(英語版) |
| 先代 ギー・モレ |
閣僚評議会議長(首相) 1957年 |
次代 フェリックス・ガイヤール |
| 先代 ジャン・ジルベール=ジュール(英語版) |
内務大臣 1957年 – 1958年 |
次代 モーリス・フォール(英語版) |
