ジャマールッディーン・ヤークート

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ジャマールッディーン・ヤークートJamal ud-Din Yakut; Jamāl al-Dīn Yāqūt; ? - 1240)は、13世紀の北インド、デリーのマムルーク朝奴隷王朝の別名)の廷臣[1]。ヤークートは、ハブシーと呼ばれる、サハラ以南のアフリカにルーツを持つ奴隷であった(#出自)。女性君主のジャラーラトゥッディーン・ラディーヤ(ラズィーヤ)・ビント・イルトゥトミシュに重用され、大将軍の肩書きを持つに至った。しかしそれがために、他のテュルク系貴族や官僚に憎悪された。ラズィーヤに対する反乱のさなかに殺された(#生涯)。

ヤークートは、ハブシーḥabšī)であった[2]。ハブシーとは、(アラビア語の原義はアビシニア人のことであるが)[注釈 1]、インドのムスリム君主が所有した東アフリカ出身の黒人奴隷のことである[3]。ハブシーは、身体的な力と忠誠心にすぐれるとされ、デリー・スルターン朝では軍人や官僚として重用された[3]。ハブシーの子孫はインド亜大陸に土着化し、スィッディー英語版siddi)と呼ばれるエスニック・グループを形成している[3]

生涯

注釈

出典

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