ジャヤ・シンハヴァルマン2世
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生涯
ヴィクランタヴァルマン4世の子[1]。1039年4月、使者として地婆剌・楽舜・羅継・阿撻㻋と共に李朝大瞿越に赴いた。1041年の父王の死後に即位した。
1042年12月31日、宋に[1]馴象3頭を献上し、他に象牙・犀角・煎香・象兜・錦褥も献じた。1043年、水軍を派兵して大瞿越の沿岸部に侵攻した[1]。翌1044年2月、チャンパが長年朝貢していないことを理由に[2]、太宗が親征する大瞿越軍の侵攻を受けた[1][3](チャンパ=大瞿越戦争 (1044年))。五蒲江南岸一帯でチャンパ軍は象兵を前列に押し立てて待ち受けたが、上陸してきた大瞿越軍に大敗し、3万人余りが戦死して5千人余りが捕虜となった。ジャヤ・シンハヴァルマン2世は臣下の郭加彝に殺害され、その首は太宗に献上された。
同年7月に大瞿越軍はチャンパの王都ヴィジャヤに入り[1][2]、略奪した[3]後にジャヤ・シンハヴァルマン2世の妃や宮女達を連行して[1][4]帰還した。ジャヤ・シンハヴァルマン2世の妃であった媚醯[2]は太宗の相手をするために小舟に乗せられたが、屈辱と感じた媚醯は舟から身を投げて死亡した。
ジャヤ・シンハヴァルマン2世の死後、パーンドゥランガ出身のジャヤ・パラメーシュヴァラヴァルマン1世が即位した[1]。