ジャンニ・ライモンディは声量的には平均的なテノールであったが、声域全般にわたって均質な響きの良さ、最高音域での輝かしさがあった。レパートリー的にもロッシーニからプッチーニまでの多岐をこなし、今日でも多くのリリコ・テノーレが目標とする存在である。
彼の不運は商業録音に恵まれなかったことにあった。これは彼がもっぱらイタリア国内で活動し、主要マーケットであるアメリカ、イギリスでの知名度が低かったこと、1950年代ではディ・ステファーノ、1960年代にはコレッリやベルゴンツィ、1970年代に入るとドミンゴやパヴァロッティといった、レパートリーの重なる有名テノールに機会を奪われたことが原因であろう。