ルーアンに生まれ。パリへ行くための奨学金を手に入れ、1779年、パンテオンの設計で知られるジャック=ジェルマン・スフロ(Jacques-Germain Soufflot)に弟子入りをした。スフロは既に高齢、病身であったが、スフロの紹介でアカデミーに入学し、またスフロの甥とともにアトリエで働いた。その後、イタリア旅行に行ったり、いくつかの建築に携わり、順調に建築家の道を歩いた。
フランス革命後、ルクーは全財産を失い、設計の機会もなくなった。地籍調査局で働き(1793-1801年)、次いで内務省で地図の作成に当たり(1801-1815)、退職後は恩給生活に入った。晩年の作品として、1814年の王立劇場計画案が残っている。