ジャン・バビレ
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ジャン・バビレの本名はJean Gutman(n)と言い、内科医の息子としてパリに生まれた[3]。
1936年から1940年まで、パリ・オペラ座バレエ学校でバレエを学び、アレクサンドル・ヴォリーニン、ヴィクトル・グゾフスキーの教えを受けた[2][4]。
1940年にカンヌでダンサーとしてデビューし、1943年にはパリ・オペラ座にコールド・バレエの一員として採用されたが、間もなく退団して第二次世界大戦中の一時期、フランスのレジスタンス「マキ」の一員として戦っていた[2][3][4]。大戦の終了後は、バレエ・デ・シャンゼリゼ(Les Ballets des Champs-Elysées)などでダンサーとして活躍した[3][4]。
この時期に、バビレはローラン・プティ振付『若者と死』の「若者」役を初演し、この役は彼の最大の当たり役になった[2][5][6]。ジャン・コクトーは「ニジンスキーに匹敵する」との賞賛を送っている[2]。
1950年代には、バビレはパリ・オペラ座バレエ団やアメリカン・バレエ・シアターのゲストダンサーとして活躍を続けた。1955年には、彼自身が主宰するバレエ団(Les Ballets Jean Babilée)を結成したが、このバレエ団は1959年に解散した[5]。その後、1972年から1973年にかけてストラスブールのライン・バレエ団の監督を務めた[5]。また、彼は振付家として『兵士の物語』(1971年)などを発表している。
1979年、56歳になったバビレはモーリス・ベジャールが彼のために振付けた『ライフ』をニューヨークで踊り、1984年にはパリにおいて『若者と死』でマルセイユ国立バレエ団と共演している[5]。2014年1月30日、生地のパリで死去した[2]。